ダウン症外来 その16
静岡ダウン症児の将来を考える会の皆様、創立30周年おめでとうございます。継続は力と言われるように、30年続けてこられ、それのみならず発展し続けておられるのは、大変な努力の賜物と思います。7月6日には総会と共に記念行事が開かれ、私もお招きいただき伺いました。併発症の続きは次回にして、このお慶びの日について感想など述べたいと思います。
静岡ダウン症児の将来を考える会との巡り会いは、1985年、私が静岡県立こども病院に赴任した時、お母様方が病院の創立直後提唱されて作られたダウン症外来(病院で生まれた子ども達と家族を支援するためボランティアとして参加されていたグループ外来)においてでした。これは私にとって大きな幸運で、外来で幼いお子さんの成長がじっくり見られ、さらに、ボランティアの河内さん、水野さん、中村さん、宮坂さん、小川さん、池ヶ谷さんのお子さん達の、大人になっていく貴重な時期に親しくおつきあいできましたし、お母様方のご経験をたっぷり学ばせていただきました。さらに、一緒にボランティアに来てくださった中原とく先生からもいろいろと教えていだだきました。このボランティアの皆さんから、おもちゃ図書館や授産所、ケアホームなどのことも教えていただき、直接行ってみることで実際の様子も知ることができました。お蔭さまで子育てについて学び考えることができましたので、外来などで伝えていくこともできるようになりました。いま私は、ダウン症のお子さんへの対応についてかなり自信をもっていますが、それはボランティアとして来てくださった親ごさん達から貴重な経験を教えていただけたからなのです。
今回、感謝状と記念品を有難く頂戴しましたが、その時に申したように、私だけがいただいたのではなくて、協力し盛り立ててこられた多くの方々の代わりにいただいたものと思っております。
静岡ダウン症児の将来を考える会の総会で感じたのは、役員の皆さんのご尽力の大きさとしっかりした役割分担はもちろんのこと、静岡県内各地域に作られた地域グループの活動がますます活発になっていることでありました。また、ご本人の自主的な「さんぽの会」で、河内夏木さんが代表として報告されていたお姿が、今まで以上に堂々とされていて感服しました。
30周年記念の行事は、ご本人達の作品紹介とダンス公演が主で、エネルギーがほとばしり、可能性の広がりを満喫させていただきました。見ながら日本ダウン症フォーラムin静岡のことを思い出しました。あの時から4年、皆さんぐっと大人になられていたし、技術的にも見違えるほどの上達ぶりで、楽しくやればできるのだということを改めて感じると共に、立派な指導者につくとこんなに伸びるということもよくわかりました。幼くても大勢の前でも臆せず、皆と一緒に手遊びをしたり踊っていて、これもすごいと思いました。私も長らく静岡にいましたし、今も静岡厚生病院で診療をしていますので、出展・出演されたほとんどの方を知っていますから、成長ぶりを見て感無量でした(「こあらだっこ」の多くの方も、今、外来通院しておられます)。「先生、ひさしぶり〜!」と近況を話しかけてくれたご本人さん達もおられ、とても嬉しかったです。ボーイフレンドを紹介し、ラブラブのお嬢さんも・・・(お母様に、結婚させたらと言ったら「何にもいてまた替わるかもしれないから難しいの」と言われてしまいましたが・・・モテモテなんですね)。
新しいヒップホップのグループで短い間に見違えるほどの上達ぶりを見せたチームにも驚きましたし、10年くらいずっと続けていて細かく難しいテクニックをこなしていた3B体操チームに、継続は力なりという言葉を改めて感じたり、とても有意義なひとときでした。
皆さんの作品もすばらしかったです。それぞれ心のこもった力強さを感じ、何であれ、表現するものを持っていることの意義をあらためて感じました。昔は線の細い絵を描いていた方が、大胆とも言える伸びやかな絵を出展されていたのもとても嬉しいことでした。
静岡を離れてから、また、日本ダウン症フォーラム以来なかなか会えなかった多くの方々にお会いでき、とても懐かしかったです。でも、県の育成会の50周年記念行事が同日だったそうで、その役員さん達にはお会いできず残念でした(静岡県内の育成会は他の土地よりダウン症の方の親ごさんが活躍しているようですが、支援団体は内向きになりがちなので、それを防げるのでいいですね)。
最後は特別ゲストのラブジャンクス選抜チーム10人の演技でした。あの中に、東京で赤ちゃんから診ている小学6年生(ユースケ君)がいて、お母さんから今発ちましたというメールが入りましたが、親ごさんの付き添いはなく、インストラクターの牧野アンナさんだけだったのですごいなと思いました。ラブジャンクスには知っている子や青年が何人も入っていていろいろ話を聴いていますので、ちょっとご説明したいと思います。演技のすばらしさが目につくかもしれませんが、その背景が大事かもしれません。
ラブジャンクスは、2002年に、安室奈美恵やSPEEDを出した沖縄の牧野アクターズスクール校長のお嬢さん、牧野アンナさんが、スターを目指したのに挫折感を味わい、インストラクターをやっても満たされなかった頃、日本ダウン症協会からイベントのダンス指導を頼まれ、乗り気もなく引き受けたところ、彼らがこんなに普通で、音楽に合わせて楽しく踊り、その感性と、こざかしさの通用しない純粋さに感動され世界観が変わり、踊る楽しさと失ったものを再び見いだしたことから立ち上げられたダンスチームなのです。ダウン症の方に限定されているのはそういう理由からです。それに、彼らの力と、著しい才能を示す子を見て、なかにはプロになる子もいるに違いないと確信されたそうです(クロワッサンの記事を参照しました)。メンバーは皆アンナさん大好きです。
もちろん誰でもプロになるわけはありませんし、目標は人によって違っていいのです。それは親が決めることではなく、本人が考えて決めることです。プロになりたい、やってみたいという気持を強くもった方達は、家で自主的に筋トレをされていますが、楽しく踊ることに主眼をおいている方も、お友達とのつきあいができるのが何より楽しいと通ってこられる方もいます。一方、親が方針を決めて無理だとやめさせた後、他のダンスや他のことのほうが合った方もいますが、それがきっかけで抑うつ状態になった方もいるそうです。
ラブジャンクスにも、最初から馴染むお子さんばかりではありません。ご存知のように、ダウン症の方は、まずじっくり観察をして、大丈夫と思ったら入っていくという特性をもっています。ユースケ君も最初はしばらく壁に貼りついて見ているだけでした。おまけに彼はハイハイをしなかったお子さんでしたが、ブレイクダンスをしてみたいという一途な気持から、逆立ちができるようになり、自分で楽しく一所懸命練習しているうちにぐんぐん上達していったのです(外来に来ても逆立ちしてます)。それと共に、手足の骨レントゲン写真を撮ったら強い立派な骨に育っているのがわかりました。
彼はまた、レスリングの練習もしています。
何と「観察期間」が3年間だったお子さんもいます。多くの親ごさんは、うちの子には向いていないと諦めてしまいますが、その子のお母様は(ダウン症フォーラムに協力された水戸川さんですが)ずっと、動こうとしないわが子を見守って通ってこられていました。ある日突然、踊りに入り、それからは舞台の前のほうで堂々と踊り、小さなイベントでは一人でも踊れるようになったそうです。
東京で親しくしている20代の恵さんという方は、心内膜炎になって長期入院加療をしたため、ラブジャンクスで上のクラスに行く夢が絶たれてしまい、友達が上達していくのを見て悔しく寂しい思いもしました。でもお母様は、「挫折は誰でもあるでしょう。挫折をどう乗り越えられるかが大事、それをどう手伝うかも大事と思っている」と言っておられました。体がしっかりしてきてから、彼女がどうするかお母様とじっくり話し合った結果、「また、いっちょやってみるか」と言われたそうです。彼女はジャズダンスもしていて、最近タップも始めたそうです。お料理も習ってお料理教室を開く夢もあるそうです。絵も好きなので、そちらもやったらとお母様が言われたら、「老後にとっておくの。今は体を動かすことをやりたい。老後やることがなくなったら困るから」というお返事だったとのことです。でもまだ上のクラスに行けないつらさは心に残っています。彼女は今月末の、日本ダウン症協会全国大会(御殿場時之栖であります)の懇親会イベントでの、大会参加者のうちラブジャンクスメンバー24人のダンス演技のディレクターに選ばれ(水戸川さんが支援し)采配をふります。初めての企画・実行に苦労されていますが、壁を越え、またひとつ大人になられるのが楽しみです。