ダウン症外来 その17

今回は、7月に開催されたJDS(日本ダウン症協会)の全国大会のエピソードをお話しましょう。何かご参考になるかもしれません。JDSでは2年に1回、全国大会を各地で催していますが、今年は理事会(JDSは公益財団法人なので理事がいます)の開催となり、理事会で人選した実行委員会で運営されました。私は昨年から理事になっていたのですが、実行委員ではありませんでした。しかし開催地が御殿場の時之栖、会場は御殿場高原ホテルに決まったので、静岡県のJDS評議員である清水町の町田さんをぜひ委員にと推薦したところ、私にも入ってほしいと言われました。JDS全国大会のおもな目標のひとつは「地域での理解と活性化」なのですが、本部が担当になるとそれが薄れがちなので、町田さんのご参加とご活動によって、静岡県、特に東部の活性化と支援ネットワークに大きく貢献できたと思います。町田さんがどのように支援者を見いだされていかれたのか、そのご経験はきっとどなたにも役に立つことと思いますので、このニュースに書いてくださるとありがたいです。

 

1)準備

 この全国大会の準備に、私としては日本ダウン症フォーラムin静岡での経験が役立ちました。でも委員長ではなく資金も寄付も予定もすでにあったので、私にとってはずっと楽でしたが、家庭も仕事もある他の実行委員の方々(たった6名)は大変でした。それに、実際動き出してから1年くらいしか間がなく目まぐるしいなかで、不備・不足がないよう、何度も遠い会場まで足を運んで下見し、細かいことまで検討をかさねるのは相当な負担だったと思います。でも大成功の結果(自他ともに認められた)で苦労は吹き飛んだのではないかと思います。

 JDSの会員は全国で5000人くらいですが、全国大会の会場は、会員+家族で400人くらいしか入りません。2日目の高嶋ちさ子さんのコンサートも850人くらいが限度なのです。どれだけの方が来られるだろうか、多すぎたら先着順にするしかないけれど少なすぎたらどうしようという心配もありましたが、実際申込み受付を始めたらあっという間に埋まってしまいました。そのため多くの方にお断りを言わなければならなくなり申し訳なかったです(申込みの一番は裾野の方で、最初のほうに県東部の方は多かったのですが)。

 実行委員のほとんどが首都圏在住のため、離れたところでの開催は負担が大きいものでした。会場になる御殿場高原ホテル、旅行会社、さらにオープニング(太鼓演奏)の富岳会との交渉などは(「一応近いから」という理由で)小田原の理事で実行委員の村上さんという方が担当され、何度も小田原から御殿場に通われていました。

 また、東京の本部での大仕事は、申し込まれた方のチケットの手配に加え、宿泊の部屋割り、懇親会の席の割り振りなどでした。これらは高原ホテルと旅行会社が担当してくれたのですが、見直すと誤りがときどきあり、また、途中の変更もあったので大変そうでした。

 コンサートは子どもたちも一緒で大丈夫でしたが、1日目の中島先生の講演会は集中して聴けるようにと、託児が企画されました。それを町田さんが担当してくださり、お仕事の合間に、東部の保健師さんや看護師さん、保育士さんなどの専門職や学生さんたちに声を掛けて回ってくださいました。お蔭さまで、託児ボランティアの方が大勢来てくださいました。それに、何度も直接話しあってくださり … 本当に、町田さんがおられなければどうなっていたでしょう。御殿場の富岳学園の指導員の方々も専門性を発揮してボランティアのリーダーをしていただけましたし、近くの裾野市にある「おもちゃ図書館」のボランティアの方々もおもちゃ持参で協力してくださり(特別支援学校の先生もおられたので小中学生へのかかわりに貢献大でした)、また、外の散歩のための下見にも来てくださり安全性を確認してくださいました。裾野のおもちゃ図書館の代表にJDS会員である田口さんがなられたこともラッキーでした。田口さんはおもちゃ図書館のボランティアさんと一緒に協力してくださり、さらにいろいろな人に全国大会を知ってもらうため活躍してくださいました。

先の日本ダウン症フォーラムと同じく、意欲と熱意があればどんなことも可能になるということを改めて感じました。

 

2)大会当日

 全国大会は7月26日、富岳会の龍神組(障害をもつ人達の演奏グループ)による太鼓の力強く巧みな演奏で幕を開けました。静岡フォーラムでも演奏がありましたが、富岳会の太鼓は音楽療法としても認められており、それを通じて相互協力や自信をつけ社会参加につなげていくという目的をもっているそうです。

 それから講演会、「障害者の経済学」で有名な中島隆信先生の講演「経済学の視点からみた障害者の自立支援」が始まりました。私は以前、発達障害福祉連盟のセミナーで伺ったことがあり、「経済の主体は経営者でなく賢い消費者、福祉の世界も同じ」というお話が心に残っていました。

でも私はこの講演は聴けませんでした。講演の間は託児ボランティアさん達への、ダウン症についての基礎情報を話してから託児のお手伝いをしていたからです。託児は、年齢などから4つのグループに分け、それぞれ担当のボランティアさんにお願いして楽しくすごさせていただきました。それでも大勢の子どもやオトナを、何事もなく親ごさんに戻さなければならないので、かなり気をつかいました。何人か気分が悪くなったのですが(仮病?の人も)大したことはなく、迷子も1人出ましたがすぐ見つかり、終わったときは皆さんに本当に感謝感謝でした。託児をすると子どもたちの普段と違う姿が見えて面白いですね。

 ホテル内では自主販売も許可されたので、JDSの本などだけでなく、静岡県内から安倍川授産所ラポールさんと編み物工房ライクさんにお店を出していただきました。JDS理事長の住まいのある山梨で作っている苔玉も出店されました。どれも他地域ではあまりなさそうな製品だったこともあり、とても好評でした。会場でラポールさんの帽子をかぶっている人も見うけられ(私もかぶっていました)写真担当の若手写真家、高橋依里さん… 甥ごさんがダウン症で写真家展に「こうちゃん」を出展されたことからJDSとつながった方… もヘアバンドのように使って撮影されてました。

夜の懇親会はイベントが盛りだくさんでした。東京世田谷支部ふたばの会のエレガントなフラダンスで始まり、地元静岡県東部から、しとやかなレディースペア、湯浅美奈子さんと町田望さんによる開会の言葉と乾杯、それから、仙台の荒川知子さんのうっとりするようなリコーダー演奏と歌を、お母様のピアノとお父様のフルートの伴奏で楽しみました(荒川知子とファミリーアンサンブル:CDが出されています。後でCDを買った時、同じ名前と喜んでくださいました。私も仙台の会に伺ったことがあり話がはずみました)。

続いて、太運亭飯庵(ダウンってぇいいじゃん)という落語家さん、実はJDSの玉井邦夫理事長が熱のこもった一席をご披露(学生時代落語研究会だったそうです)。その後、大会参加したラブジャンクスのメンバー24人が、2人の成人メンバー、和田 恵さんと富田修平君の練った企画と演出でカッコ良く踊ってくださいました。

最後に、理事全員+実行委員が「世界に一つだけの花」を(一応練習した)振り付きで、会場の皆さんと一緒に歌い、ラブジャンクスのメンバーも壇上に上がってきて賑やかに初日は終わりました。

中島隆信先生も懇親会参加をご希望、親ごさんたちと歓談され、ダウン症の人のお母さん達はオシャレで元気だなあとしきりに感心されていました(おばさんの経済学という本も出されてますが)。

私の席の隣は、高嶋ちさ子さんのお姉様、高嶋未知子さんでした。上品なお嬢様といった雰囲気の方で、世田谷のスキップという就労トレーニングセンターを経て銀座のブランド店GAPで働いておられます。「お仕事楽しいですか?」とお訊きしたら、「楽しくありません」とのお答え。「なぜですか?」「仕事は楽しいものではありません。一生懸命するものです」ウンなるほど、と妙に納得。

 

二日目、高嶋ちさ子さんはチャリティコンサートは(どれを選んでいいかわからないので)やらない主義だそうですが、親ごさんがJDS会員でもあり、超多忙のところを、ご一家で懇親会から参加してくださいました(ダウン症の人たちがいろいろなことができるのにびっくりされてました。特に早い動きのヒップホップダンスには驚かれたようです)

いまから40年以上も前の社会理解がない状況のなかで、手探りにお子さん達を育ててこられたでしょうが、お子さん達は皆たくましく成長され(それも未知子さんのお蔭だそうですが)、ご両親と未知子さん、ちさ子さんとの、自然体(?)で楽しく鋭く言い合うトークバトルにはお腹の皮がよじれる程笑ってしまいました。演奏は皆の知っている音楽も入れていただき、トトロなども(初めて)演奏してくださいました。舞台は音響、照明を完全なものにするため高嶋企画からすべて持ち込まれ、大がかりでしたが、お蔭で高級なバイオリンの音がきれいに響き渡り、トークの声も隅々までよく聞こえたと思います。

 コンサートの担当は、静岡フォーラムにも協力してくださった水戸川さんでした。末っ子がダウン症ですが、3人のお子さんの世話と仕事とJDS理事の仕事で超多忙にもかかわらず、これまた超多忙の高嶋さんとの交渉と相談を何度も何度もしてくださいました。アーティストとの交渉は楽ではありません。経験豊かな水戸川さんならではの成果だったと思います。初日も夜遅く当日も朝早くからの打ち合わせ。素晴らしかったコンサートには裏方さんのこんな努力がありました。

コンサートの花束贈呈は県内からということで、大会に参加された3人の方にお願いしました。清水町の保育園児、竹井暖菜ちゃん(ちさ子さんに)、裾野市の小学生、田口五月さん(未知子さんに)、静岡市の青年、三浦正太郎君(ピアノ伴奏の近藤亜紀さんに)です。幼い暖菜ちゃんはコンサートが始まったときは雰囲気にのまれ、お母様にしがみついていましたが、慣れれば大丈夫とわかっていたので、様子をみていたら途中から笑顔がでたので、やっぱりと思いつつ一安心しました。皆さん堂々と花束贈呈をされ、喝采をあびました。

 

御殿場高原ホテルの大ホールには、今まで800人以上の人が入ったことはなかったそうです。そのため、ホテル側には、混乱なく入場できるための経験を教わることはできず、実行委員と理事で、やり方と位置関係について話し合いました。それも現地ですぐ決めなければならず、コンサートの受付が始まる直前に急いで検討し、それぞれの配役を決めましたので、大きな混乱もなく入場が完了したときは、皆、本当にほっとしました。

 

 懇親会の後、深夜まで、各地の支部の役員さんとの話し合いがなされました。JDSの本部と各地域の支部とは、どのように連携したらいいのか、今まであまり話し合われていなかったようでしたので、良い機会だったのですが、時間が足りず、自己紹介だけで終わってしまったのはちょっと残念でした。でもこのような機会をもち続けることで相互理解が進むのではと期待しています。

 

私は昨年はじめてJDSに入りましたが、以前、外から見ていた時には、何も見えず、JDSって何をする団体?と思っていました。それでも「ダウン症の人が日本のどこに生を受けても困らないようにする」ことがJDSの努めと考えてはいましたので、そのためにできることをしていきたいと思います。静岡では、「親ごさん達の積極的な働きかけが世の中を変え、専門家の意識を変えていくのだ」ということを学ばせていただきました。医療も福祉も、そして親すらも、ダウン症への正しい理解がなされていない地域はまだ沢山あります。今回の全国大会では、静岡方式として、町田さんと、本人ボランティアを導入しました。本人がボランティアをするという発想がある地域はほとんどないようですので、静岡発の意識改革となったのではと思います。私は理事とはいえ直接運営を行う立場ではないのですが、各地で巡回セミナーに参加するという役も与えられていますので、それを活用して、静岡の親ごさん達から学んだ数々の貴重なことを全国に広めていきたいと思っております。