ダウン症外来 その22

 今回は、この夏、8月19日〜22日にダブリン(アイルランド)で開催された世界ダウン症会議の様子を書くことにします。世界ダウン症会議は3年毎に開かれています。前回はカナダのバンクーバーでした。私は初参加で、それもJDSからの派遣として、国際担当(広報委員)の竹村和浩さん(小学生のお嬢さんがダウン症で、英語の先生)と行ってきました。残念ながら、日本からは他に誰も参加されませんでした(ロンドン在住のご一家だけ来られていて嬉しかったですが)。
 開催地は市街地の北にあるダブリン市立大学で、モダンなホール(へリックス=らせん、という名)とビジネス学部や看護学部が会場となり、宿泊も構内の学生寮で、JDSからの派遣でもあったこともあり、アイルランドを観光する時間はなかったのですが、世界各地の人と会ったので、世界旅行に行ったようでした。アジアからの参加者は韓国、台湾、シンガポール、フィリッピンなどで、韓国と台湾の方々とは親しくお喋りしました。同じ立場の人達が一同に介し、同じ目的や目標をもって、共通の問題にあたっている様子は感動的です。
 ここでは、親や専門家以上に、ダウン症の大人たちの存在が際立っていました。それを見ていると日本ダウン症フォーラムin 静岡を思い出しました。成人(18歳以上)と子ども達には、それぞれ楽しく豊富なプログラムが準備されていました(成人にはアイルランド特産のギネスビール蔵の見学も)。懇親会も、彼らのためにロックバンドとDJをいれたダンスパーティでした。客を迎えるアイルランドのダウン症の成人たち52名は、Ambassador(アンバサダー=特使)という名のもとに、落ち着いた制服姿で、重要な役割(本人会議、あいさつ、講演者紹介、インフォメーションや受付の運営参加、本人ワークショップのアシスタントなど)を担っていました。2月から地区別に集まって練習を重ねてきたということです。ここのワークショップは、ロック(どこのダウン症ご本人お気に入り)で始まり、ドラマでアイデンティティを探る会、自分を語る会、専門家から学ぶ会などが行われ、静岡フォーラムでの本人ワークショップを広げて深めたようなイベントでした。

JDSではブースを設けて、そこにポスターを貼り、英語版のJDSリーフレットを配り、JDSミニブックや会員さんの本、会報などを展示し、皆の活躍ぶりのビデオを流しました。ブースでは竹村さんが、通りがかりの人に声をかけてパンフレットを渡し、説明し、さまざまな国の人たちと交流してくれました。展示のなかでは、前々回と前回参加したラブジャンクスと、さ織りのドレスを着たファッションショーが好評で、日本色豊かなものはあまり興味を示されなかったようです。海外の関係者達が求めているのは、自分達にもできる試みや、学ぶことができるだからなのかもしれません。

ブースが設けられたのはヘリックス ホールの2階で、JDSのほか、アイルランド、南アフリカ(次回の開催地)、イギリス、アメリカ、イタリアなどのダウン症協会が展示や販売をしていました。家族が本や絵はがきを売っているブースもありました。そこを回って資料や本の説明を聞き、それらをもらったり買ったりするのも楽しいことです。いくつかDVDも買いましたが、そのうち言葉を育てるDVDを帰ってきて見て、あまりの素晴らしさにびっくりしました。題がDiscovery(発見)となっていて、自然の中で好奇心たっぷりの幼児達のシーンから始まり、全体を通して、子どもは周囲の世界を「発見」することから言葉が始まるという考えが貫かれていました。これは「子どものねがい、子どものなやみ」の本(かもがわ出版)に書かれた「子どもの発達はねがいからはじまる」の考えにもつながる子どもの成長発達の基本ですが、ともすれば忘れられがちなことです。DVDではさらに、言葉が育っていくための過程とダウン症の子の特性、および適切な関わりについて専門家や親達が詳しく語り、かわいい子ども達の活動や療育光景をたっぷり見せてくれていますが、特にダウン症の子は目で学ぶという特性から、文字を入れることでコミュニケーションが進むことも詳しく述べられていました。ダウン症の特性をしっかり把握した対応をすれば、ほとんどのダウン症の子は言葉によるコミュニケーションがきちんとできるはずであることを改めて教えられました。それに、療育のプロとはこうあるべきということを教えてくれるビデオです。これを清水町の町田さんにお渡ししましたので、皆様ぜひご覧ください。

 私のほうはブースも少し手伝い、へリックス ホールの3階に設けられたポスター会場に行ったり、講演を聴きに行ったりしていました。私は「ダウン症をもつ人への偏見を除くために:ダウン症を特殊にみることが偏見の原因ではないか」という題でポスター発表しましたが、その考えは、すでに欧米諸国では現実のものになっていることを知り、心強く嬉しくなりました。会議でも、日本では最近やっと人類遺伝学会などで言われてきた「ダウン症は人類のバリエーションにすぎない」ということが、当たり前のように口にされていました(これは、1992年、R.ニュートンという人の「ダウン症は病気ではなくバリエーションである」という言葉に端を発するそうです)。 特に、カナダやアメリカ、EUの社会活動はめざましく、EUではダウン症のご本人が人権宣言をするそうです。

講演は毎日朝8時45分から午後5時までありました。午前中はへリックス ホール1階の大ホールで基調講演がなされ、午後は各分野に室をわけてより細かい講演や話し合いがなされました。そこでは多種多様な演題が出されていましたが、最も多かったテーマは教育です。
 欧米諸国は先進国発展途上国を問わず、障害があろうとなかろうと普通の環境で一人ひとりの特性に応じて行うインクルージョン教育が当たり前、という考えに達していることが、今回の会議でよくわかりました。インクルージョン教育の是非を問う時代はすでに終了していました。インクルージョン教育の思想の基本は偏見差別からの脱却です。社会の中でどんな人も一緒に生きていくためには同じ教育の場が基本であるという考えです。また、どんな人も得手不得手があるのだから、誰もが自分に適した教育を受けるべきであるということでもあります。そして、どのようにしたらインクルージョン教育を効果的にできるかという具体的な検討や、インクルージョン教育に円滑に入るには、どのように系統的総合的な早期教育をしたらいいかという工夫が講演でも、ブースで配布または販売していたリーフレット、冊子、DVD、絵本などの主題と思われました。
 日本の特別支援教育の基本的理念も同じ思想から発しているのはずですが、実施にあたって必要な対応がされていないので国民は法律の恩恵を受けることができないのが現状です。海外の先進諸国では、子どもの教育は将来を作ることから、とても大事にされています。日本の状況と比較すると、医療は先進諸国に遜色ないと思いましたが、教育においては後進性が明らかです。政策だけでなく、内容にしても、プロとアマの違いと言えるほどでした。はたして日本は将来に投資する気があるのでしょうか?
 最終日の懇親会パーティ(Gala Dinner)でカナダの教育研究所長が同じテーブルになったので、話を聴くことができました。その方の本を翻訳する計画も上がっています。

 日本にも誇れることがあります。多くの国では出生前「スクリーニング」が広まり強制的な国さえあります。私はスクリーニングへの疑問を書いたチラシを100枚ポスターの前に置いておいたところ、ほとんどがはけていました。ブースにいる人達はポスターを見る余裕がないため手渡ししましたが、なかでも次回開催国の南アフリカのお母さんは、あれは企業の利益のためだからとんでもないことだとはっきり言っていたので、同感同感と意気投合しました。出生前スクリーニングを日本でやっていないと言うと、他の国の親ごさん達からワンダフルと言われました。この点では日本は最先端の考えをもっているのです。出生前診断については「出生前差別」という言葉も出されていました。

 私は成人のテーマの講演も聴きましたが、そこで、私達がずっと主張してきたことは正しいとわかりました。それは、ダウン症の人達は基本的に普通と変わらず、彼らの特性が理解されないと精神に支障をきたすことです。次回は海外で成人の問題にどう対応されているかを書こうと思います。