低緊張の問題から食事の話になってしまいましたが、低緊張については一応このくらいにして、発達の話に入りましょう。人間はとても複雑なものですから、発達も単純に進むわけではなくて、いろいろな要素がからみあっています。その複雑さをそのまま受け入れないと、理解がゆがむおそれがあります。でも、あまり複雑なことはどこから手をつけていいかわからないので、ある程度は整理して、わかりやすく、考えやすくしていく必要がありましょう。今までお話した低緊張も発達に大きく影響します。新ダウン症外来その2であげた『子どものねがい,子どものなやみ』にもそのことが書かれていますので、もう一度読んでみてください。

発達に遅れがあると将来は知的障害になるのでしょうか、という質問をよく受けます。知的障害は、知能検査でIQが70以下のときに判定されます。ダウン症の人は言葉でのやり取りや概念作りが苦手で、IQ値が70を越えることはめったにないので知的障害に入ってしまいます。でも生活に必要なのは知能より知恵のほうです。ダウン症の人達は知恵にたけていて、私たちもなかなか太刀打ちできないほどです。知恵は、さまざまな経験や学習によって豊かになっていきます。しかしせっかく知恵があっても、人間としての経験が不足し社会的常識を学んでいないと、悪知恵のほうに発達してしまいます。ダウン症の子どもたちは、ほかの人の心に入って和ませる能力をもっていますが、それが裏目に出ると、「にっこり笑って」「優しい態度で」自分に得意で都合のよい、楽なほうに周囲を引き寄せてしまうことがあります。彼らは「人づかいの天才」なのです。ただ、残念なことに、子どもには、今やっていることが将来どうなるかという予測はできません。ダウン症の子たちも将来を予測できるような大天才ではないので、大人が、「今こうすると将来どうなる」ということを知って適切な関わりをしなくてはなりません。ただし、将来困らないようにと、いつも厳しく叱って正しいことをさせようとするのは、大人の上手なやりかたとは言えません。それは効果より逆効果が大きいからです。もし効果があったとすれば、ほかの人たちも関わってくれていたからでしょう。それは家族の誰かだったかもしれませんし、お隣のおばさんおじさんや学校の先生、または友達だったかもしれませんし、本から得たものかもしれません。しかし、今の時代、子どもたちに心で接する人は減っています。特に、知的障害をもっていると外からの影響が少なくなりがちですので、親がどう関わるかがとても重要になってきます。でも、親だけで子どもを育てるのはよくありません。人間の長い歴史のなかでも、親だけで子どもを育ててはいなかったはずです。人間は、「人と人の間」と書くように、さまざまな社会の中で、いろいろな人と関わりながら育っていくようにできているのです。もちろん親は育児の中心にいて、子育ての最大の責任者でもあります。しかし、一人ですべてを背負わず、理解してくれる人を増やし、支えてもらえる人を見つけていくことも必要です。

障害がある人への理解はまだ不足していて、特殊で低く見られがちですが、逆に、特別な素晴らしい人と思われることもあります。でも、いつも特別と思われていては疲れます。思春期以降に問題がみられることがありますが、それも、自分自身の実像が、ほかからの評価と違うことを感じ、ほかの人に自分を合わせるのに疲れて出すSOSかもしれません。

ダウン症の子どもたちの発達の過程(道すじ)は一般の子どもたちとほとんど変わりませんが、彼らは「ゆっくりと」進んでいきます。ゆっくりというのは、何かを身につけるまで時間がかかり、適切な動作をおぼえるのに時間がかかり、考えて答えを出すまでにも時間がかかる、つまり、ふつうより時間をかける必要があるということです。なかには早く行動する子や、よくしゃべる子もいますが、経験を積んで慣れたためでもなく、よく見たり考えたりすることなしに、行動や言葉だけ早いのであれば、ちょっと待つことも必要です。子どものやることは早ければいいわけではありません。ダウン症以外の染色体異常をもつ人たちも発達の遅れや知的障害をもつことが多いので、ゆっくり時間をかけて発達します。静岡市静岡手をつなぐ育成会会長の河内園子さんは「染色体異常と診断されたということは、少し丁寧に育てましょうということです」と言っておられます。ただし、染色体異常の部位によって発達の特性は違っています。ダウン症の場合、発達が緩やかなこと以外は、ほとんど普通と言えます。ダウン症の人たちの発想や考え方、それに行動は、私たちからかけ離れてはいないでしょう。ただ、彼らの多くは言葉で自分の考えを言うのが不得手ですから、わかっていない、考えていないと誤解されることがよくあります。当事者のことが理解されずに、障害者のイメージが作られることが偏見ですから、偏見をなくすためには、まず、本人からの声に耳と心を傾ける必要があります。なお、普通とは均一を言うのではなく幅がありますが、そのなかでもダウン症の人たちには次のような傾向がみられます。

(1) 耳から理解するよりも、目から理解するほうが得意で、
(2) 観察力が優れていて、特に、人の心を読み、その人に合わせて行動するのが得意で、
(3) 感受性が強く、優しく、他の人が悲しんだり争ったりするのが嫌いで、喜ばれるのが好き、

これらの特性を知って対応しないと、せっかくの優れた面なのに裏目に出てしまったり、弱い面(知的障害など)によって抑えられたり、経験不足があると発達が伸び悩んだりします。
 それなのに、ダウン症を知らない人たちから、このような発達の停滞がダウン症の特徴のように思われると偏見にもつながるおそれがあります。

 たとえば(1)のことについて言えば、耳から入った言葉はおぼえにくいので、聞いただけでは言葉が空回りしたり、現実離れしやすくなったり、会話にならないことも少なくないのです。そのため、理解しにいことは、実物や絵、写真などを見せて説明するとか、その場にあった話をするとか、少し配慮が必要になるでしょう。
(2)については、他の人がどう感じているか、思っているかを見抜く力で、たとえば、人によって態度を変えるとか、理解は難しくて無理と思われていると、わかっていないふりをしてやらないなど彼らの得意技をみせます。それは処世術かもしれませんが、人生を狭めてしまうおそれもあります。これに(3)の、人を喜ばせようという能力も加わると、怒っているのに「にっこり笑われて」つい許してしまうといったように、大人が思うようにあやつられることにもなりかねません。ダウン症の人たちは、ほかの人が喜ぶよう、冗談を言ったり、ふざけてみせたりするのも好きで、楽しい人たちなのですが、ほどほどということも知らなくてはなりません。それは自分で気づきにくいので、やはり教えていく必要がありましょう。
 また、気をつかいすぎて疲れてしまい、自分の居場所を失ってしまうと思春期の挫折にもつながりますので、自分を出しにくく自己主張をしない子には配慮が必要でしょう。

 もうひとつ、忘れてはならないのは、同じダウン症であっても個人差が大きいことです。それは、ダウン症の現れ方が人によって違うこともありますが、それ以上に、親からもらった遺伝子や育ってきた環境の違いが大きいのです。さらに、きょうだい関係も影響します。それには、無口/おしゃべり、几帳面/ルーズ、人付き合いがいい/人付き合い苦手、生真面目/要領よい、ガンコで堅い/融通がきき柔らかい、落ち着きがない/落ち着いている、などなど性格の違いも含まれます。  お宅のお子さんの、お母さんに似ているところ、お父さんに似ているところ、おじいちゃんに似ているところ、おばあちゃんに似ているところはどこでしょう。



ダウン症外来 その5