ダウン症の子は一般に握力が弱いようなので、手先が器用でも思うように手が使いにくくなります。手先だけで物をつかむ子もいます。そのような特徴を知って関わってくださる指導者は静岡県内にもかなりおられるでしょう。先週お会いした静岡市のお母さまが、スイミングを始めようと思って水泳教室の先生と話したところ、「ダウン症のお子さんは腹筋背筋と握力が弱いので、それを強くするようなこともしていきましょう」と言われたそうです。日本中こういう理解ある指導者の方ばかりだったらいいのですが。目標を運動の上達だけに限っても、ダウン症の特性と、一人ひとりの個性をよく観て、ほかの人の経験などから学び、工夫して指導することで効果が上がるでしょう。効果の上がらないようなことを繰り返しされて、この子はできないダメだとレッテルを貼られるようなことはないでしょうか。
ダウン症の人たちとおつきあいしている人は誰でも、彼らが目で見たことを真似ること、つまり技術的なことを見て学び取ることは得意技なのに気がつきます。ダウン症の人たちのすることは、人や場に慣れさえすれば自然で、一般の人と何ら変わりはありません。ただ、前にも言いましたが、ものごとの意味を理解するのは容易ではないのです。しかし、容易でないということは無理とかできないということとは違います。それはつまり、おぼえるまでの時間が掛かるからあきらめてはならないということです。また、耳から聞いた言葉で理解するのにも時間が掛かるので、目からの説明も入れると効果的だということでもあります。そんなことをするのは大変だと思われるかもしれませんが、彼らを知ればそんな難しいことではありません。それにこれは、ダウン症に限らず、どの子にも必要なことでしょう。個別の説明が絶対必要な自閉症スペクトラムの子どもたちはダウン症よりはるかに多く、最近は10人にひとりはいると言われています。
ダウン症の人たちに、まず必要なことは、今していることや今後やることについて、その人の年令と発達を考えたうえで、わかりやすいような説明をすることでしょう。ダウン症の人たちは、意味がわかれば応用もきくようになります。そこは自閉症スペクトラムの人たちとの違いかもしれません。もちろんどちらが上か下かということではありません。そのような評価は全くナンセンスです。
たとえば、その場で何をするかが(見てわかっているくせに)、やらないで寝そべっていたりすることがありますが、そのとき、叱ったり、何も言わずに引っ張ったり抱いたりして連れ戻すことはありませんか。幼い子に適切な行動を教えるにはいいのですが、適切な行動が何かわかっている時期にこのようなことをしてもちゃんと動くようにはならないでしょう。もちろん年令が進んで状況判断ができるようになる子は多いでしょうが、それは多分、大人の有無を言わせぬ行動が彼らを変えたのではなく、自然な発達によるものでしょう。もし彼らに合った対応をすれば、もっと早く、大変な思いをすることなく適切な行動に行き着いたのではないかと思われます。楽しい(面白い)か嫌(つまらない)かで行動を変えたり、その時の気分によってやったりやらなかったりというのは幼さのあらわれですので、社会性の発達をうながすような言葉かけや説明が必要となるでしょう。
ダウン症をめぐって数々の迷信がありますが、まどわされないためには、「一人ひとり違うのは、ダウン症の症状からの差違以上に、親が違うための相違なのだ」ということや「ダウン症が性格を決めているのではなく、性格は主として親からの遺伝と環境からつくられている」「ダウン症の子は器用、ただ時間がかかる。また、握力の弱さが支障となる」「ダウン症の人が永遠の子どもというのは間違い。それは年令相応に遇されていないから成長できないのだ」といった事実を知っているといいでしょう。ダウン症の子はそと見からわかりやすいこともあって、一般の人と違うと思われがちですが、違いを強調することによって、違いは増大し悪循環にすらなりえます。そうすると、ただの違いも個性を越えて続発的な障害となってしまいます。ダウン症のそと見としての体型や表情などのうち、障害を防ぐことはできるのだと、たくましくレスリングの練習をする子どもたちや青年たちを見ながら改めて感じました。ダウン症の人へのレスリング指導は世界で初めての試みだそうで、これから日本各地に広めていきたいそうです。
ダウン症外来 その6