今回は、昨年10月に、関西の老舗、近畿大学で行われたダウン症の集いでお話したことについて書きます。この会は、前年の静岡で開かれた日本ダウン症フォーラムに感動してくださり、せっかくの盛り上がりが継続されそうもないことを憂えておられた近畿大学名誉教授(日本ダウン症ネットワーク初代理事長)の武部啓先生と、近畿大学助教授でダウン症のお嬢さんをもつ巽純子先生が企画されたのです。近畿大学の先生方や学生さんも心を一つにしてされ、本当に素晴らしい会になりました。ご本人達のオカリナやドラム演奏から始まり、服飾専門の学生さんたちとの企画によるご本人達のファッションショー(これは静岡のファッションショーを見られた巽先生のご要望で実現)、お子さんが成人になった親子さんの育ての秘訣の話など数々の素晴らしいイベントに魅了されました。フィナーレは近畿大学の迫力一杯の応援部で締めくくられ、大学全体で参加してくださった嬉しさと、巽純子先生の、大学の仕事だけでも大変なのに、ご夫君と3人のお嬢さんのおられる家庭とを両立させるという超多忙のなかでのご努力に胸がいっぱいになりました(それなのに終始裏方さんでした)。この会は、近畿大学の遺伝カウンセラーコースの研修として文科省の助成で行われたので、遺伝カウンセリングについての講演から始まり、学生さんの陪席のもと相談会もありました(どこに相談していいかわからない親ごさんが多いのに驚きましたが)。遺伝カウンセラーを目指している若い人達が、先天性疾患に正しい理解を示してくれるのは心強いことです。岩元綾さんとお父様が講演され、シンポジウム「ダウン症児(者)の思春期以降の心理支援」には学芸大学教授の管野敦先生、大阪医科大学小児科教授の玉井浩先生と私が講演しました。他の方の講演を書くわけにいきませんので、このとき私がお話したことだけをかいつまんで述べてみます。

「ダウン症の人はこんなに普通」
 ダウン症候群(略称:ダウン症)をもつ人たちとおつきあいを始めてまもなく35年になりますが、その間、ずっと考えてきたのは「ダウン症を持つとはどういうことなのか」ということでした。それは、診療の場だけでなく、青少年のダウン症の人たちとの集いに参加し、一緒に遊び、食事やお茶につきあい、話し合い、さまざまな相談に応じながら、だんだんわかってきたように思います。相談をよく持ちかけてこられるダウン症の20代女性は私を「最大の理解者」と呼んでくださいますが、なにも特別なことをしているわけではなく、ごく普通の若者に対するように、一人ひとりとおつきあいさせていただいているだけなのです。ダウン症としての特性はもちろんありますが、それは誰もが持っている「遺伝的に同じ集団でみられる特性」の一つでしかないと思えます。つまり、出身地による違いとか、民族による違いとかというのとさほど違いはないと感じます。
 いつも気になることですが、障害をもつ人たちが、どんな場面においても「障害者」として一括りにされている、それは変ではないでしょうか。障害にはそれぞれの原因があり、その原因の違いによって特性は大きく異なります。この人々に接するのに、特性の違いを無視しては不適切な対応しかできません。療育や教育、それに福祉も「ピントはずれ」になってしまい効果を上げることはできないでしょう。行政も、家族も、関係専門職も皆が、彼らの特性、つまり、どこがわれわれと共通でどこがどんな相違なのかを知って対応していただきたいと願っています。
 ここでは、ダウン症の人たちについて、その特性と、いわゆる「健常人」との共通点について考えてみましょう。特に、その特性以上に「普通」であることを強調したいのです。その理由を5つ書き出してみました。(ただしこれは、ダウン症は病気だとか病気でないとか分けているのではありません。ダウン症のなかには特性も病気も障害も含まれています。しかしダウン症をもった人達にとって、ダウン症というのは一部でしかなく、その人達の基本は普通人なのだと言いたいのです)
理由その1
 障害者といっても、その人の全てが障害されているのではありません。障害は一部にしかすぎず、大部分は「健常」で「普通」なのです。そうでなければ生きてはいけません。このような当たり前のことが意外に忘れられてはいないでしょうか。医師は「病気・障害部」を見て治療を考えるのが本業ですが、一緒に生活する家族や保育・教育・福祉などの専門職は、まず「健常部」つまり「いかに普通か」から見ていくこと、それが、障害の有無や程度にかかわらず人間として対応し人権を守ることに通じると言えましょう。ダウン症をもつ人達に対しても同じで、第一に、一人の人間として「健常部」を見ることがなのです。そうすれば、誰もが自分と共通したところが見えてきます(特に親ごさんはわが子がこんなに似ていることを見出すでしょう)し、人間としての個性がわかってくるでしょう。そうすれば、いつまでも幼児扱いでなく年相応に関われるようになるでしょうし、地域の素晴らしい友人であることにも気がつくことでしょう。これによって偏見・差別を振り捨てることもできるようになりましょう。

 しかし同時に、ダウン症である部分の特徴を知って適切な対応をすることも必要です。その特徴は個人差はあるものの、一般的に言えば、大きく分けて、次の3つの特徴があげられます。
1.筋緊張低下(低緊張)
2.特徴的な発達と発達障害
3.多種多様な合併症の可能性
社会の中でダウン症は特別視されていると言って誤りではないでしょう。その原因はおそらく、外見から普通との違いのほうが目立つこと(筋緊張低下や下顎の低形成のためだけなのに)、姿勢や動作が特別に見えること(これも筋緊張低下のせいなのに)、合併症が強調されること(合併症はいずれも一般の子にみられるものなのに)ではないでしょうか。でもこれはイメージから作られた偏見にすぎません。
 医療その他でダウン症について説明されるときも顔の特徴が真っ先に語られています。しかしこれは診断に都合がよいだけであって、実は枝葉末節のことなのです。顔の特徴は、顔面の上あごの低形成が主な原因ですが、それによって鼻炎や副鼻腔炎、中耳炎などを発症しなければ単なる「特徴」にすぎません。いわば個性です。ただ、合併症の可能性を知って、定期検診、早期発見をすることは大事です。「特別の障害」だと漠然と見ているのは百害あって一利もないのです。基本的に健常な人間であること、どこに障害の影響が及んでいるかをしっかり見て、はじめて彼らの生命や生活を守ることができるのではないでしょうか。
 彼らの性格特性も誤って強調されすぎています。たとえば模倣が上手なのは、一般の人をしのぐ彼らの能力なのですが、障害特性のように語られることも多いようです。これはとても変です。また、ダウン症の人達は他の人の心を読む力が豊かにそなわっています。これは彼らの魅力ですし「徳がある」など褒められることもあります。一方、彼らを知らない人のなかには動物本能のように解釈していることがありますが、そのような解釈は大きな誤りで、本来は人間としての高度な能力なのです。彼らのせっかくの能力や魅力が人間として尊重されず、偏見に結びつくとしたらとても悲しいことです。もっと問題なのは、この特殊と思われている社会的意識が出生前診断のターゲットにつながっていることです。出生前診断というとすぐダウン症の名前が出てくる現状を放っておいていいものでしょうか。ダウン症の人が特別視されていれば、いくら良い点優れた点を強調しても、普通から外れた子はどうして育てただいいかわからないと不安になる妊婦さんや家族には響かないでしょう。いかに普通かを確認することは、ご本人にとっても他の人達にとっても意義の大きいことであろうと思います。
 この続きは次の号に・・・

ダウン症外来 その9