ダウン症外来 その21

皆様は、5/17に清水で行われた、全障研(全国障害者問題研究会)が主催した講演会で、学芸大学教授 菅野 敦先生のご講演を聴かれ、成人期を豊かに過ごすために必要なことについて、沢山の貴重なご経験から教えていただけたことと思います。

ただ一つだけ、とても気になっていることがあります。講演後に、お母様方や施設職員の方からの「いつ退行が来るのか、不安でたまらない、どうしたものだろうか」という訴えを耳にし、これは大変、きちんとした説明が必要だと思いましたので、今回はこの問題について書くことにしました。

たぶん問題になったのは急激退行という言葉でしょう。そこから親ごさん達が否定的なメッセージを受けるのは、ダウン症だけには二度と戻らない幼児返りが現れるから、せっかく育てた意味がなくなってしまうことだからでしょうが、はたしてそうなのでしょうか。そして、そう思いこむことで、お子さんの将来を閉ざしてしまわないでしょうか。

そもそもダウン症の方々にみられる、このような状態は医療で言う退行とは違います(精神医学では、緊張を解くような行動を…お酒を飲んだり、カラオケに行ったりすることも含め…退行と言いますし、また、思春期に挫折すると一般の人も幼児返りが起こりうると言われていますが)。

ただし、精神の病気と思っていたら、甲状腺機能低下や脳卒中といった身体の病気だったということもありますから、小児科または内科での診察も受けなければなりません。

今、JDSでも成人の個別相談を受けていますが、多くの方が退行と言われ困り果てて来られます。そして、そのほとんど全てに、大人になる過程で当然ある葛藤やつまずきへの不適切な対応という問題がひかえていることがわかりました。

このような状態は他の発達障害でもかなり見られますが、ダウン症の人にみられる「人の気持ちがよくわかり、我慢強い」という共通の特性、それがこうじて、我慢をしすぎたり、親ごさんへの気配りが非常に強かったりして、いつも相手に合わせていると、自分の気持ちを表現できなくなります。 

そういう、いわゆる「イイコ」タイプの人ほど燃え尽きやすいようです。

さらに、おぼえが良く、何でもやればできるような人は、周りの期待を一心に背負ってがんばっています。そのとき、結果だけを「よくできた」とほめられていても、実際は、表面だけ見ておぼえただけ、教えられた通りうのみにしただけの、考えて判断する力の不足が隠された「金メッキ」であって、その人の核は幼児期から育っていなかったのかもしれません。メッキは、自分さがしが始まる思春期から大人になるとはがれていくので、幼児に戻ってしまったように見えても不思議ではないでしょう。

思春期は変身の時期とも言われます。身体面はもちろん精神面も変化しますから、その変化に気づいて、対応を大人になる方向に変えていけば、問題を防ぐことができましょう。また、思春期は、親からの自立を強く望み、自分さがしをする時期でもありますが、まだ甘えたい気持も強くあり、幼児と大人が混ざりあった不安定な時期でもあります。ですからマイナスの変化があっただけでは病気とは言えません。この時期には、今まで気がつかないことに気づき、考えていなかったことを考えだすので、行動が遅くなったり、ぼんやりして見えることもあります。もちろん退行ではありません。

幼い頃から、少しずつ年齢にあわせた関わりをしていた場合、大きな問題にはならないでしょうが、問題が出るまで幼く扱っていたのであれば、子どもを見る目も関わりも変えていく必要があります。ダウン症の子は愛らしいからと年齢以下に扱われ、必要以上に手をかけられ、考えて判断する力が奪われているということはないでしょうか?

さらに、ダウン症の人達は人間関係をとても大事にします。それがかえって人間関係で傷つきやすいことにつながります。しかし人間関係の不協和音やトラブルはどの世界にもあり、避けて通るわけにはいきません。心優しい彼らは、親に心配させないため言うことができず、我慢を重ね、突然、精神に変調をきたし、これは退行かと驚かれるのです。このような問題を早めに解決するためには、親以外で、何でも話しあえる人がいることが大事です。特に、親の会で、他の理解ある親ごさんとの斜めの関係は、大人になってからいっそう貴重な宝ものになるでしょう。

また、職場に行かなくなった理由が、単純労働の繰り返しに飽きたという例もよくみられます。その仕事の、全体のなかでの位置、重要度、自分の立場などがわからないまま、毎日同じ仕事だけしていたら、普通は飽きて当然でしょう。(一方、作業所でも、営業部長と呼ばれて、自分からアイディアを出し、経営に参加することで活き活きと積極的に働いている30代の人もいます)

ストレスで情緒不安定になり動くのがつらい時は、マッサージやアロマテラピーなどでリラックスさせてあげてください。ただしアロマオイルやハーブのなかには薬との相互作用をもつものがあるので、服薬している場合は注意が必要です。

精神の「病気」には、精神に作用する向精神薬を補助的に使う必要があります。ただし、一見精神を病んでいるようでも病気でなければ効果はないでしょう。向精神薬は効果や副作用の個人差が大きいので、状態をみながら絶えず見直し、慎重に使わなければなりません。精神的な病気は、確定診断が容易でないので、医師から言われた診断名が正しいとはかぎりません。

わが子の状態を説明する時、症状・妄想・退行・精神病などの言葉を親が使うのはいかがなものでしょうか。このような言葉が親の口から出ると、親子関係に冷たいものが流れます。それによって、ありのままのわが子を受け容れにくくもなり、言葉がお互いの愛情を切り離し、悪循環が作られていくような気がします。

静岡ダウン症児の将来を考える会を創られた 河内園子さんは、10年前すでにこのように言っておられます(1999年11月16 日の会報)。一部を抜粋しましたが、全文を読まれることをお勧めします。

「近年,ダウン症の青年におきている問題について, “退行”とか“落ち込み”という言葉で表現されている行動の変化が話題になる事が増えてきました。今までの行動表現と比較してみると,動作が緩慢になったり,今までできていた日常生活がスムーズにゆかなかったり,言葉を失ったように無口になったり,囁くような小さな声で話したり,言葉の数が減少したりの状態をみせます。

 しかし,この彼らの状況を説明する表現として“退行”“落ち込み”という言葉が使われる事にはあえて異論を唱えたいと思います。これは彼らの立場にたっての表現ではなく,家族,特にまわりの人達が彼らの状態を表現している言葉だとおもうからです。それは,親(まわりの人達もふくめて,代表として“親”とします)にとって,今までの彼らの行動とは違って,理解しにくく,日常生活に支障を来す原因になる行動を指して言われているのではないでしょうか。このような彼らの行動の変化に出会って,親が戸惑うことは当たり前のことです。何とか以前の,親達にとっては理解しやすい行動に戻そうと,あちこち“治療”のために奔走します.しかし,“ちょっと待ってください”と私は言いたいのです.彼らにとっては,当たり前の行動,そうせざるを得ない行動なのかもしれません。(以下略)」((平成10年4月の成人の会での提言に加筆、JDSニュースにも掲載 )