ダウン症のある人がいつまでも健康な歯を保つために
最近、ある地域の親の会に長谷川(いでんサポート・コンサルテーション オフィス 医師)が招かれたとき、
歯科の先生から、「ダウン症の人は40歳になると歯が弱って抜けやすくなる」「歯が抜けてもダウン症だからインプラントなどは出来ない」と言われたので不安、という相談を受けました 。
長谷川は歯のことは全く知らないので、北九州の歯科医、武田康男先生に教えていただくことにしました。
武田康男先生は、北九州市立総合療育センターで歯科部長をされ、数多くのダウン症のある子ども達を診療してこられ、ダウン症のある赤ちゃんが生まれて病院から連絡があるとお宅に行って口腔ケアや摂食の指導をされていました。さらに、ダウン症支え合いの会を初め、さまざまな支援組織を作られました。定年後は支援と指導を主に、アクティブに活動されています。ダウン症のある方は成人も大勢診ておられます。
加齢によって歯が抜けるという問題に武田康男先生は次のように答えられました。
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私が診ていた男性の方はもう50歳になりますが、歯も歯肉も健康です。よく磨いていますし、健康のために、コーラやイオン飲料を飲むこともなく、食習慣も夕食後の間食摂取という習慣もなく過ごされています。その方はパン工房にずっと勤めていて、今はパン粉の分量を計量することを引き受け、また重要な製造行程にも関わっておられます。もっと若い頃は、日本舞踊や民謡の踊りをやり、書もトライしていました。
きっと色々なことに興味と実行力があるのと、社会的な立ち位置で責任を引き受ける立場になっていることが大事だと、その方を通して思います。食べる食材は必ずしも硬いものが好きというわけではないのですが、心と体の健全さがその方の口腔の寿命を延ばしているのではないかと考えています。
また、40過ぎたら歯が弱るということは信頼性のない不要な言葉です。このような言葉は他の親ごさんに不安をもたらします。さらに口腔の健康を保つために何がダウン症のあるご本人に必要かを考えることもしなくなると思います。
歯科医学的には、ダウン症の特徴は重度の歯周病が人生の早期から生じやすいことと教科書に出ています。
ですが私が診ている口腔ケアがしっかりしている方達は、乳歯の歯肉も混合歯列(乳歯と永久歯の混在する思春期)の歯肉も、ダウン症ではない、親の都合で口腔を顧みられない他の子ども達に比べて、格段のレベルで清潔、健康です。また、一般的な歯肉の状態と比べても遜色がありません。
教科書の知識は更新されるべきですが、昔学んだ教科書的知識を伝えることしかできない歯科医は多いです。それに歯科医師として、ダウン症のある方への口腔ケアの努力が足りません。
もちろん口腔ケアを十分に行うことが困難な状況の方も中にはおられますが、それぞれに対応を変えていくことは専門家として当然のことです。親が継続してケアをしていくことが必要ならば、その親に指導をして、支えなければなりません。
自分で歯磨きが自立できそうだと判断した場合は、8歳、9歳頃を目安に(個人差があります)自分で正確に磨くための指導を始めます。
そのために、わたしは毎回受診時には口腔のすべての歯を対象に歯垢を染色して、ご本人に確認していただき、自分で磨くことを練習します。その後は歯科衛生士がブラシの動かし方などを丁寧に指導します。
上肢機能が不十分で自分で上手くできない方でも、ご本人に聞いて望めば自分で磨くことをまずしていただいています。うまく磨けなくとも、自分で自分の歯を磨く習慣は自尊心を育てますし、少しずつ上達します。できると嬉しくなります。
そうすれば親ごさんが仕上げ磨きをしてくれることに対しても受け入れてくれます。このようなご本人たちの状況を見て、口腔ケアを誰が中心となって行い、誰が支えるか検討することが現状を変える上で大切だと思います。
歯が抜けることはダウン症でない方でも起こります。その場合、抜けたところを補う入れ歯(補綴処置)を作るかどうかは、人それぞれです。自分でしっかり歯を磨き、検診にも毎月通う方であれば、入れ歯も必要な時に入れることは可能です。
ダウン症だからという言葉はダウン症のある方に対しての先入観に過ぎません。それよりも通常通りに口腔ケアを行い、食習慣を崩さない生活をしていくことが、先々どんな問題が起こるか心配するよりも重要だと思います。
ダウン症のある方で口腔ケアが不十分である場合は、歯肉炎の進行が早く、何かのきっかけで歯が動き出すことはあります。
その場合、入れ歯を作っても、インプラントを植え込んでも、支える骨が少ないのですぐに駄目になります。これはその方にダウン症があってもなくても同じです。再生医療といっても健康な歯肉組織がないところには再生医療は役に立ちません。
ダウン症だからという思い込みをまずは変えなければならないと思います。
その上で幼少時から、一人一人のダウン症のある方の状況に合わせて、ご家族の方やご本人と、今どのような知識を伝えるのか、どのようなケアを年齢に合わせてするのか話し合い、そのケアの実際を繰り返し練習することが大切です。同時に咀嚼機能の基本を獲得し。食事の習慣(特に間食の習慣)を整えることを支え、年齢に合わせた虫歯や歯肉炎の予防を行うことが口腔の健康を育むために必要です。
歯周病があれば一回に30分くらいはしっかり時間をかけて磨く!と私が学生の時に歯周病専門の教授から口を酸っぱくして言われたことがあります。そこまではできなくとも、ある程度正しく時間をかけて磨くことで歯周病を防ぐ、あるいは軽減することは可能です(お子さんの年齢や歯の数やかみ合わせなどで変わりますが、目安は最低5-10分)。
自分で磨くことを育みたいと思われたときは、歯科受診時に、直接ご本人に指導してほしいと頼まれるとよいでしょう。
歯磨きは成人でも、ご家族が仕上げ磨きをすることが必要です。
そのときはご本人が立ったまま向き合って磨くのでなく、仰向けで磨いてあげます。
そして、歯の外側を磨く時には<あ>の口ではなく、かならず<い>の噛んだ状態で磨いてください。そうすれば口唇が楽にめくれるので、歯頸部(歯と歯ぐきの境目)が楽に磨けます。
逆に歯の内側を磨く時は、<あ>の口で、必ず2歯か3歯を磨いたら、歯ブラシを一旦、口の外に出します。そうすると口の中に溜まった唾液を嚥下されますので、また次の2、3歯を磨くという様に断続的に磨くことがうまくケアできるコツです。
立ったままで磨くと、上あごも下あごも歯頸部の歯磨きが全くできていないことになります。これはダウン症のあるなし、年齢にかかわらず、親や施設支援員が仕上げ磨きを行う時の原則です。
ダウン症のある方は虫歯になりにくいとも言われます。それは、歯の隙間(歯間)が永久歯では多い傾向があるので、歯間からの虫歯は少ないのも一つの理由です。
先天性欠如歯もよく見ますので、余計に隙間が開く方が多いです。
一方、乳歯では、反対に歯冠(歯の幅)が大きいのが特徴です。これは自分の論文で証明しています。なので、逆に歯間が詰まっているお子さんが多いのが特徴です。
叢生=いわゆる乱杭歯の乳歯列が、ダウン症のある子どもの特徴です。
そのような状況でも、口腔ケアが良いお子さんは歯間からの虫歯も少ないのです。
歯の形態や歯の萌出が遅くユックリとしていることが幸いしています。
乳歯でも永久歯でも虫歯は少ないと説明してきましたが、口腔ケアや間食習慣が崩壊していると、ダウン症のある方であっても乳歯にも、永久歯にも虫歯が発生することがあります。
特に、先天性心疾患があると、間食でもいいから何でも食べなさいと小児科医から言われることがよくあります。心臓の問題があるから虫歯になるのは当然と聞かされた親もいます。これは間違いで、間食習慣を整えず、摂食機能の段階的な成長をなおざりにした結果です。なので「小児科医原性虫歯」と言えます。
グループホームや施設に通所・入所している人も大勢診ていますが、自分で磨けなければ支援員の側の課題となります。
支援員の人員不足はどうしようもありませんが、少なくとも口腔ケアをどう行うかという支援員の技術的なことはなおざりにできないと思います。
私は、支援員の方が可能であれば、ご家族と一緒に外来に来ていただきます。患者さんの歯垢を染めだして、支援者の方に患者さんの歯のどこが磨けていないかを知っていただきます。その上で、どうしたらそこを磨けるか実際にやっていただいて、歯磨きの技術をお教えします。
支援員の方が一緒に来診できなくても、同伴の親ごさんにお願いして毎回染めだしを行なった歯をスマホにとって、支援員の方に見てもらっています。
療育センターにいた頃は地域の施設等に呼びかけて毎年、多くの施設職員に口腔ケアの基本の学びと実習をしていました。その時は、ケアのモデルは参加者どうしでした。今、それは私の立場ではできなくなりましたが、センターでは継続しているようです。
また、ヘルパーさんが来るご家庭では、訪問時に口腔ケアを学ばれるヘルパーさんや訪問看護師さんもいます。ご家族からお願いして、きちんと口腔ケアができるスタッフを増やすことが大切です。
その時は私が紹介する歯ブラシを使い、使い方も習得していただいています。口腔機能に問題があり、誤嚥しやすい方の場合は歯磨きの後、必ずスポンジケアを実施して、口腔内に増えた細菌数を減らすこともしていますが、スポンジケアも上手にやってくれる訪問看護ステーションもあります。
要は受け手と指導者との間に信頼関係があれば良い結果を作り出せると思います。
ダウン症のある方に限らず、重度の方がレスパイトで帰って来た後の口腔の酷さは尋常ではありません。それを知らないのは、入院病棟の看護師さんたちです。なので、自宅に帰ると
<さぁ、頑張って元に戻そう>と訪看さんと口腔ケアをしっかり行う気持ちを新たにするお母さん方もいます。病院の看護師さんに言ってもわかってくれない人が多く、ケアをお願いしても不十分だからです。
歯ブラシの選択もとても大事です。
歯ブラシにはタフトブラシというのがあります。毛束が1つのヘッドの小さな歯ブラシです。タフトブラシを使う人は少ないかもしれませんが、これはとても有用な歯ブラシです。
私は、仕上げ磨きで親ごさんが使うものとして、磨き残しではなく、
基本のブラシとして用いていただいています。
これですと、上手に磨くコツを教われば歯と歯肉の境の歯頸部が丁寧に磨けます。
特に、ダウン症のある方は子どもも成人の方も舌が口腔容積に対して大きい傾向があり、
ブラシが舌側に入ってくることを嫌がる人が多いので
下顎の奥歯の舌側(裏側)の歯頸部が舌に邪魔されて、ほとんど磨けません。
ですので、基本ケアをヘッドが小さいタフトブラシで行ってもらいます。
奥歯の臼歯のかみ合わせ部分は歯肉に接していないので
通常の歯ブラシで磨いていただくという二刀流が良いと思います。
なお、乳児期から乳歯萌出が完成するまでは、タフトブラシ1本でやります。
第1大臼歯は必ず、タフトブラシで、完全に萌出するまで行います。
タフトブラシは、取手が細く、毛先が細くて、しかも毛が少ないので
1柄の形態
2毛先の適度な丈夫さ、長さ
が購入するときに選ぶ理由となります。
1に関しては、握りやすく、毛先がコントロールし易いこと
2に関しては、歯の表面の歯垢を落とし易いコシがあるもの
を選びます。
タフトブラシはいくつか種類がありますが、
バトラー(BUTLER)のシングルタフト#01Mが一番使いやすいと思います。
乳幼児で極端に嫌がるときや出血傾向があるときには、
初めはバトラー(BUTLER)のシングルタフト#01Sを使いますが
そのうちに#01Mに変えます。
他社のタフトブラシはどれも、使ってみると、頸の部分が長く、グリップの部分は把持しにくく、思うように狙った部分を磨くことが難しく、長続きしません。
そのためバトラーのものしか紹介していないのです。
タフトブラシの扱い方ですが、私が作った資料PDFがあります。
サンスターのサイトにも図入りの解説が出ています。
では、通常の歯ブラシはどう選んだらよいのでしょう。
そのときに必要なのは、
1操作性
2歯垢を落とすコシの強さ
タフトブラシと同じです。
操作性から言うと、取手部分は普通の形と大きさで、握り易ければどんなものでも構いません。
操作性に関しては、歯ブラシのヘッドの毛の大きさが重要です。
毛は縦・横・丈からなる立方体です。
毛の丈は低めが良いと思います。
特に子供用は、丈が低いものが奥の歯を磨くときに操作しやすいです。
大人用に低いものはありません。丈の高いものを使わないことです。
丈が高いと歯垢を落としづらい欠点があります。
縦幅(毛の並びが歯ブラシのヘッドの軸方向の部分です)は、下の前歯3歯分の幅の長さぐらいが適当です。子どもの場合は2.5歯分くらいが適当です。
横幅(毛の並びが歯ブラシのヘッドの横幅の部分です)は、2歯か3歯分の幅が良いと思います。
小さいなと思いでしょう。でもそれくらいの大きさでないと、口の中での舌の広さに対して相対的に大きいので、大きなヘッドの歯ブラシでは効果的に操作できません。
その結果、歯の内側を磨くことが難しくなります。
特に下の顎の歯の内側の奥の部分は全く磨けないと思います。
一方、頬の筋肉や唇の筋肉も、歯ブラシが入ってくると緊張して上下の歯の外側が見えにくくなり、うまく磨けなくなります。ヘッドの小さなもので、正しく磨くことが大切です。
最後に、どの歯ブラシを使うにしても、清潔さは大切です。使った後はよく水洗してください。その後は通気性の良いところで乾燥させることです。
また、歯ブラシの使用期限は、使い方によりますが2か月が限度です。早めに買い換えてください。
不潔なブラシで、毛先が広がったものをよく見かけますが、歯磨きの時に歯肉に傷をつけて口内炎を引き起こすことがしばしばあります。また感染の原因になることも考えられます。特に心疾患のあるダウン症の人は注意が必要です。
タフトブラシでも磨けない部分があるので、もっと細かい歯間ブラシやフロスを用います。ただし正しく磨かないとフロスで歯肉を傷つけてしまうので、それをする余裕がなければ、頻繁に歯科に通い、歯科衛生士さんに仕上げを頼みましょう。
この資料は、かかりつけの歯科医に見せていただきたいです。そこで同意され、受け入れられるなら安心です。一方、拒否や無視をされたら、歯科を替えることをお勧めします。
さらに、お仲間や親の会での話し合い材料にしていただき、正しい情報を広く共有して、多くの方を救っていただきたいと願います。
武田康男
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