静岡
ダウン症児の将来を考える会

「遺伝外来のもう一つの処方箋」
静岡県立こども病院 遺伝染色体科医長 長谷川知子

医療雑誌”SCOPE”に掲載されたものを長谷川先生の許諾を得て転載させていただきました。

報酬のない処方箋
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という本をご存じだろうか。この著者、ロバート・フルガム氏の著作集に"オッケー!冷蔵庫のドアの内と外からの眺め(浅井慎平訳 集英社)"がある。そのなかにあった小話を紹介したい。
《わたしの知っているあるご婦人…彼女は自分の問題で精神科医のところへ行った。医者は彼女の話を聞いたあと、処方箋を書き、その処方箋を使い切るまではここに来ないと約束してほしいと言った。その処方箋を読んだ薬屋は、彼女にそれを突き返した。「うちではこれはできません」彼は言った。「しかし、あなたにはできます」処方箋には、こうあった。"日曜日の朝、墓地を歩きながら一時間ほど日の出を見ていること"》
 これを読んで、私は、こういう処方箋を書いて渡してみようと思いたった。これほど粋に書くことはできないものの、口で言うだけでは忘れ去られることでもメモに書いて渡せば、そのつど読みなおしてもらえる。それに、家族や教師などのプライドを傷つけずに私の意見を伝えられるだろうし、世の中は母親の意見をあまり聞いてくれないようなので、その後方支援ができるなどの利点もある。ただ、診療報酬にはならないが。
 診察に訪れる患児や家族は人生を背負ってきている。病気には人生のすべてが絡んでいるにもかかわらず、現代人は薬や手術などで簡単に完治させようとしているのではないか。薬は治療における補充として用いられるものであり、それが主役ではないはずである。障害をもった子どもへの療育(治療・教育)もしかりであろう。

処方箋の例
1. 祖母が甘いものを与え続けているプラーダー・ヴィリー症候群(PWS)のAちゃんのお母さんに
 Aちゃんは甘いものが大好きですね。おばあちゃんはAちゃんが可愛いのでついつい与えたくなるのでしょう。でも、いまは痩せていても、PWSという病気は、太りだすと短期間にすごい肥満になってしまいます。ですから、毎日の食生活を「正しく、規則的に、楽しく、無理なく、文化的に」していくことが必要です。少しだけだったらと思われるかもしれませんが、その一口が病みつきになりやすく、こっそり食べたりして肥満を誘導します。いったん太ってしまったら治療は困難で、Aちゃんも辛い思いをしますから、そちらのほうがずっと可哀相なのです。甘いお菓子やスナック菓子を与えるより、いいことがあります。楽しい絵本を読んであげてはいかがでしょう。そのほうが文化的ですし、心の栄養にもなりますから。

2. 学校で否定的なことばかり言われているBちゃんのお母さんに
 Bちゃんはとてもしっかりしたお兄ちゃんになってきました。お母さんはよくわかっておられるでしょうが、外では、家の中と環境も違うので馴染みにくいと思います。また、試行錯誤の時期のようですから、ウロウロ歩き回ったり、いたずらをするのでしょう。学校の先生もまだBちゃんをどう扱っていいか戸惑っているのでしょう。Bちゃんもそれをわかっていて先生を試しているようです。Bちゃんは自分のことをうまく語れないので、Bちゃんの気持をお母さんから先生に伝えて、関わり方についてよく話し合ってください。

3. 家で障害のあるCちゃんだけが大事にされ、他のきょうだいへの関わりが心配な家族に
 健康な子どもは放っておいても育つと思われてはいないでしょうが、Cちゃんの世話に追われて、悪いとは知りつつ我慢させてしまっているのではないでしょうか。でも、どの子もお母さんとの直接の関係を求めています。少しでもいいから二人だけの時間、あなただけのお母さんよと言える時間をつくってみてください。もしかしたらCちゃんに手厚く世話をすることがよいこととは言えないかもしれません。Cちゃんを自己中心的な殿様にしてはいないでしょうか。そんなことも考えてみてください。

4. ダウン症のわが子をなかなか受け容れられないお母さんに
 まだお子さんを受容できないようですが、もしかしてご自身に心の重荷がまだ残っているのではないでしょうか?その原因は他にありませんか?家族の理解が薄いとか、昔いやな思い出があったとか、妊娠時や出産時にいやな思いをしたとか、いまもご自分を責めておられるとか。それを心に閉じ込めていてはよくありません。言葉にしにくければ書き出してみて、そのことが、いまの状況にどうつながっているのか、子どもの問題とどう関係があるのか、もっと他に見方や考え方はないかなど、考えてみてはどうでしょう。頭の中のさまざまな思いが絡まりあってしまうとモヤモヤと漠然とした不安が湧きおこってきますから、一つ一つ問題を分けて具体的に考えていくことが大切です。そうすれば、頭の中も整理でき、前がもっと見えてくるでしょう。次回、お書きになったものを見ながら一緒に話し合えるといいのですが。

5. 遺伝が気になるアペール症候群のDちゃんのお母さんに
 Dちゃんの病名はアペール症候群で、遺伝様式は常染色体優性遺伝です。ご両親には見られず他のごきょうだいにもないことから、これが親ごさんからの遺伝で伝わったとはまず考えられません。遺伝子突然変異が原因でしょう。遺伝病の責任は誰にもありません。それは人間が作ったり避けられたり価値判断をすべきものではないのです。誰でも病気と関係ある遺伝子を最低10個は持っていますし、突然変異も体のなかで絶えず起こっています。Dちゃんのごきょうだいがこの遺伝子を持っていることはまずないでしょう。ご本人から次の世代には1/2の確率で伝わります。それは事実ですので、それをどう考えるかについては、ご本人が気になったときにカウンセリングを受けて、事実を正しく知り、よく考えて判断していくことです。他の人の考えで方向づけをすることではないのです。お母様の上手な育て方をみれば、Dちゃんだったらきっと自分で考え判断できるようになると思います。

6. 医師の治療についての説明がわからなかったと訴える遺伝性疾患をもつ子のお母さんに
 その先生は、お母さんにとって、説明がわかりにくかったことに気づいておられないようですね。でも、お子さんの病気のことは、ずっと診ている主治医が一番よくわかっているはずです。まずは、その先生にもう一度詳しい説明を頼まれるのが一番です。気後れして訊けないとか、訊いたら悪いなどと思ってはいませんか。お子さんの病気や治療についてきちんと知っておくと、適切な関わりができ、病気も早く回復しますし、生活への支障も最小限にとどめられます。ほんの少しの勇気をもって、質問をどしどししてください。それによってお互いの理解は進むはずです。治療の場に入ると緊張して、うまく話せないようでしたら、前もって質問したいことを紙に書いて持参するという手もあります。
 もし、それでも説明がわかりにくければ、同じ専門の他の医師に訊くこともできます。それをセカンドオピニオンといいます。そのときには検査の結果はできるだけ持っていって診察の様子をよく見て、どしどし質問をすることが必要です。というのは、せっかくのセカンドオピニオンでも、前の医師より経験がなかったり勉強不足だったら意味がないからです。
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 特に、遺伝関係はまだ専門医が少ない状態です。遺伝子や染色体の検査ですと、説明を正しくできる医師はまだそう多くありません。遺伝の検査には大きな問題があります。一つは遠い親戚でも同じ遺伝子をもっている可能性があること、次に、症状や問題が出る前に診断が可能なこと、最後に、妊娠中に診断が可能であることです。そのため、慎重に、検査をするかしないかを決める前に、充分な説明がなされなければならないのです。その説明が、どれだけわかっていただけたか、そして、説明や決定が親ごさんにとって重荷になっていないかといった気遣いもされなければなりません。これは遺伝カウンセリングの一部でもあります。

7. わが子の障害を治したい、普通に近づけたいと療育をがんばっているお母さんに
 親ごさんにとって、わが子が社会のなかで大変な思いをしないようにと願うのは当然で、その心情は障害が重くても軽くても同じでしょう。療育とは、生活をしやすくするための治療と特殊な専門的指導であります。ただしそれは、育児への支障や生活への負担を減らすための援助の一つでしかないのです。それ以上に大事なことは、家族のなかでのごく当たり前の日常生活です。朝起きて夜寝るまでの毎日の生活こそ、特別な専門的関わりに優るとも劣らない社会参加の土台作りであることが忘れられてはいないでしょうか。日常の家庭生活は体と心の全てを使っていますし、それぞれが関連しあい続けていくためバランスのとれた健全な発達へ導かれますから、効果が何よりも大きいものです。一方、療育・訓練から得られるものは部分的・断片的な効果です。学校教育もそうですね。もし、日常生活を食事とすれば、療育は薬のような補助的なものです。
 専門的な療育をがんばって普通に近づけようという思いには、もしかすると、障害があっても"基本は普通の一人の子ども"ということを忘れていないでしょうか。その理由は、医療や療育専門家が病気や障害だけを診て治療する立場なのに対し、共に生活をする人であるべき親も(親としての自信を失い)同じ視点から見るミニドクターになってしまってはいないでしょうか(図1〜3)。
 親とは、子どものありのままを受容し、日常生活を共にし、自らの人生を伝えていくものでしょう。「母親の価値」をぜひ見直してください。
 今年から社会福祉も大幅に変わりました。いままでの(本人の意志と関係なく)障害者路線に乗せる考え方から改善され、普通の地域で育てること、生活しにくければ適切な援助をしていくことが法律でも保証されることになりました。これは嬉しいことなのですが、そのためには、自分で考え自分で選んでいく「自律の精神」が育てられなければなりません。親ごさんとしては、一緒に考え行動しながら子どもが自信をつけられるように支えていくことが必要で、受け身の療育に専念していては、むしろ社会に入れない「障害者」を作ることになってしまいます。

8. 言葉がなかなか出ないと悩む、ダウン症候群をもつ5歳児Eちゃんのお母さんに
 お家でお母さんはどんなふうに話しかけておられますか?要求、指示、命令、禁止の言葉はどのくらい使っておられますか?こういう言葉は日本語のほんの一部分でしかないので、それだけで育てれば、子どもはお母さんに要求、指示、命令、禁止をすることだけを覚えるかもしれません。
 Eちゃんはいま語尾の真似が少し出てきていますし、意味のわからない言葉(ジャーゴン)もさかんに発しています。せっかく出てきている芽をつぶすことなく、温かく見守っていきましょう。それには、日常のごく普通の会話や、心のこもった挨拶などを、少しスピードを落としていくといいでしょう。お母さん自身、感動を言葉にしたり、今していることを言葉にして伝える練習をする必要もあります。それによって言葉は空回りせずコミュニケーションの手段になるでしょう。
 言葉を教え込むのは逆効果です。楽しいからしゃべろうと思うのが自然な気持ですから、教え込まれる言葉は人工的で断片的で強制的です。言葉が出なかったり、会話ができない子は教え込みをされていることが多いのです。

 ところで、歌人の俵万智さん歌詞の童謡に『銀ちゃんのラブレター』というのがあります。

   
ぎんのじょうくんから
   ユリちゃんにおてがみ
   でもぎんちゃんは字がかけません
   だから春にはふうとうに
   さくらの花を入れました


 コミュニケーションで言語によるものは30%以下といわれています。目も表情も手も指も…体全体をつかって意志を伝え、イメージを膨らませることが豊かな言語生活につながります。ひとをよく見て(わかってもわからなくても)話を聴いている子は、言葉が遅くても将来はコミュニケーションができるようになるでしょう。自分勝手にしゃべりまくるだけでは意志は通じ合えません。

9. わが子(F男)の診断を聴いてインターネットで調べまわり、かえって不安になっている親ごさんに
 F夫くんの病気について、ここで説明した以上のことが知りたいと思われるのは親ごさんとして当然でしょうし、お気持はよくわかります。また、こんなに情報が溢れており、先端医療が発達しているのだから、原因もわからないはずはないと思われたとしても不思議ではありません。
 診断と治療は医師の努めですが、「診断」には診断学という基礎が必要で、医療情報が豊富であればできるというものではありません。診断学をきちんと学ぶことで、診断は、「たとえ当たらなくても遠からず」となりますし、基礎を学ばなければ大きな誤りに陥る危険があります。これが、診断は医師だけがする仕事という理由なのです。それに、診断とは人間の一部だけ、病的状態だけをあらわしているにすぎませんから、診断名が独り歩きすることは、子どもの将来を閉ざしてしまうおそれすらあります。
 本にもホームページにも、あなたのお子さんのことは書いてないのです。どんな病気であってもそれぞれの状態は違うのです。一人一人、程度も将来の姿も大きく違います。病気の個人差だけでなく両親が違うのだから、それぞれ違うのは当然です。合併症の可能性だって、たくさん知って注意していれば大丈夫とは言えません。子どもをよく見ずに病気や障害ばかり見ようとすれば、かえって重病人や障害者が作られてしまいます。大事なことは、F夫くんを見守りながら普段の様子を知っておいて、何かあれば相談できるかかりつけ医を決めておき、いつもの状態と違って、これはおかしいと感じたら、すぐに診てもらうことです。

おわりに
 ここに書いたのは、病気や障害をもつ子の親への(治療目的である)処方箋である。これは、対話プロセスであるカウンセリングとは違うが、本人や親の自己評価の低下を防ぎ、そしてその向上をめざす点でカウンセリングと目標は共通と言えよう。
 昔、親はなくとも子は育つと言われたが、子どもが育つためには誰か養育者は必要である。小児科は子どもの治療だけをしていると誤解されがちだが、子どもだけ治療しても、家族が協力しなかったり、心の支えになってくれなければ治療効果は上がらない。逆に子どもの病気は、親や祖父母などの家族全員の生活や健康状態をも左右しうる。また、病児だけに家族が熱中すると、きょうだいに問題が出てくる。さらに、ひとりの子どもが小児科できちんと治療されケアされるかどうかは、家族や親戚の生活や働く意欲に大きな影響を与える。小児科の対象は、患児だけにとどまらず、家族まで広く含まれていると言えるのである。

                                             以上



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