静岡
ダウン症児の将来を考える会


平成14年度              ダウン症児の将来を考える会              総会

第2部    河内先生との座談会

テーマ    「私は何のためにここにいるの?U」

 

河内先生

ある会合に出たときに夏木から「私は何のためにここにいるの?」と聞かれました。私は、今までいろんなことで夏木の気持ちをわからないで、過ごしてきたことがあったなぁ、ということをすごく感じたということをみなさんにもいっしょに考えていただきたいと思って、金沢でシンポジウムがあったときにこのことを話題にさせていただきました。

でも、若い親御さんがその会場には多かったということもあって、あまりこういうことに関して浸透して同意を得る雰囲気を持てなかった。静岡の皆さんでは、どうかな、と思って反響を期待したんですけれども、特に読んでからの感想を寄せてくださった方もなかったので、皆さんはどういう風に受け止めていらしたのかということを今日はみんなで考えていきたいと思います。

夏木がこういう風にして「どうしてここにいるの?」自分から自分の気持ちを言ってくれたときに、

小さいときに会合にいっしょに行きますよね、自分はしゃべるんだけれども夏木は果たして自分がその目的のためにここにいるのは、何の為なのかをわからずに来ていることがいっぱいあっただろう、と思うんですね。多分、皆さんもこういう会合に来たときに「今日はこういう会合でここにあなたが来ているんだよ」「それは、あなたの為というよりもお母さんが勉強するためなんだよ」ということをキチンと言っていないんじゃないかな、と思うんですね。小さい子の場合。

例えば、そういう会に同席したときに「お母さんが勉強するためにここにいるんだよ」ということであったならば、この会合が終わったときに彼らに何を言ったらいいか、というと「お母さんが勉強している間、静かに待っていてくれてありがとう」という言葉がつながって出てくるべきことなのではないか。

「えらかったね。」という形で上から彼らの行動を認めるという形でしか、私たちは対応していなんじゃないか、ということをすごく感じています。

私は、もう夏木がそういう年齢になってから気づいたことなんですけど、まだ発展途上にある若いお母さんたちは、そういうことにも心を砕いていくことがやはり人権を認めていくということじゃないかと思っています。

例えば、それがよくわからない子だったら多分、飛び跳ねて走り回ってしまう、という活動になると思うし、そういうことがちゃんと言える子供(兄弟)だったら、「僕はここはいやだ」とか「僕はここに居たくない」とか「お母さん、退屈しちゃったよ」とか「何のために行くの?じゃあ、ご褒美になんかくれる?」という質問もあると思うんですけど、そういう意味では割にダウンの子供たちは親の行動に適応してくれるという面をたくさん持っていると思うんですね。だから、そういうことの積み重ねというのは、やっぱりとっても大きなことかな、と思いました。

いくつかの例をいろんなお母さんから相談を受けたりするので、いくつかの例を合わせながら、こんな風に彼らは深く自分の存在と家族の中での関わり合いのことをとても深く考えているんだよ、ということをみなさんに知っていただきたいな、と思ってこういう話をさせていただいたんですけれども、そういう意味でダウン症のいろんなことに関わってくる「頑固」だとかそういう性格についても、そういうことを考えてみるととても理解がしやすい部分がたくさんあるな、と。自分が言いたいことをたくさん持っているんだけれども、それを上手に表現できないために素通りされてしまっているということの中に、ある意味では、すごく強いものを持っている彼らだなっていう風に私は思っています。

もう一つ私が提示したかったのは、親のダウン症の受け容れ方について、なんですけれども、私たち、今ここに集まっているみなさんは、多分いろんなことを迷い、迷ったけれども、彼らのために何か出来ることがあるんじゃないか、ということで、一生懸命取り組んでいる方たちだと思うんだけれども、障害ということを乗り越えてはいるんですけれども、乗り越え方にもいろんなタイプがあるのではないかということを、大きくなって、いろんな方たちと話をして、いろんな場面に成人してから出くわす問題にしてみると、「あ、こういう形での障害の受け容れ方だったのかな」ということをいろいろな形で提示されるということを私自身が感じたので、このときに「ダウン症の受け容れ」について、(大胆すぎるんですが)私自身としては3つの形で受け容れの形を分類してみました。

@      ダウン症=障害児 だから、いろんなことにも社会に出て行くときにいろんな問題を持つであろうから、それについては、みんなで社会を変えていこう、というふうにして、障害児問題に積極的に立ち向かっていくという姿であるんですけれども、そこにはあくまでもダウン症児=障害児という結びつきがある、というところでの障害児問題の関わりということがあると思います。

A      ダウン症児は、とても大切な子供、ケアの必要な子供として、家庭の中でとても大事に扱っている。

先日、なくなった方のお宅にうかがったときに、お父さんが「(ダウン症の)この子を中心にして家庭が回っていました。」とおっしゃることについては、私もすごく同意が出来るんですけれども、ただとても大事なものとして存在してしまっている、家族の役割分担ということは特に意識しないけれども「大事にされているな」というだけで残っていってしまうときに本人がどういう風に感じるのかな、ということが、いろんな場面(例えば兄弟の結婚だとか)に出くわしたときに出てくる家族の中の会話のあり方とか、そういうことの中でその位置付けがわかってくるのではないか、ということがありました。

B      ひとりの人間として、家族として、自然に育てていく(それがみんなの目標ではあるんですけれども)。

どこかにその辺の違いがあるんじゃないか、ということを感じさせる場面が私も感じています。

だから、これについては、障害を乗り越えることについては私たちがすごく一生懸命親の気持ちとして、一緒に話し合いをしているんだけれども、どういう形で受け容れて、どういう形でしているのかというのは、それぞれみなさんまだ意識の中にはないように思うんですけれども、こういうことを提示しながら、自分の家族の中では、どういう風に受け止められているのかな、ということをみんなで一緒に考えていくということも、とても難しいことだけれども大事なことじゃないかな、という風に思っています。

「ダウン症=障害児」ということについては、娘も「ダウン症って障害児?」という質問を私にしたことがあるんですけれども、そういうときには、私の中にも「そうだね」ということがある部分あったような気がします。「社会に出て行くときにいろんな人の支援が必要だよね。そういう人のことを今、障害者と言っているので、「障害者」という名前は好きじゃないけれどもそういう意味では夏木はそうだよね。」と中学、高校の始めに質問されたときには、そのように返したんですけれども、だんだん年代が上がってくると、それは答えとして間違っていたな、と。今は、私が年老いてきたという段階にきてみると、支援されているのは私かな、と思う場面がたくさんあるんですよね。そうすると夏木に言った答えはとても合っていないということになってくると思うので、そういうようなことを家族の中で、ダウン症はダウン症なんだけれども、=障害児ではないんだよ、というところを、やはり障害児として育てていくことはいけないのではないかと私は思っているのですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。

皆さんでいっしょに考えていきたいと思っています。

この間、浜松の合宿のときにやはり大きい人達の会合があって、分科会のときに、ある高校に行っている方から「今、高等学校に行っていて、夢をいっぱい持っている。学校を卒業したら、お仕事に行って、お金をたくさん貯めて、自動車を買って、お母さんを僕が運転して乗せてあげたくて、それから、家を建てて、おかあさんも一緒に住んで、結婚もしたい。」と言っています。それに対して、お母さんは戸惑いを持っているわけです。「どういう風に答えてあげたらいいでしょうか。」という質問があったんです。これについて、みなさんは自分のお子さんからこういうことを言われたときに、どういう風に答えるか伺ってみたいな、と思っているんですけれども、そんな形で話を進めていただけたらと思うんですけれどもよろしいでしょうか。

司会

みなさんに意見を出して頂いて、みなさんでその結論を育んでいこうという河内先生のご提案なんですけれども。

河内先生

年代別に分けて、小さいお母さんと大きいお母さんとでは、感じ方が違うと思うので、見回してみると私の知った方がいらっしゃるので、こちらから指名をさせていただいていいでしょうか?

Aさん。

Aさん

(中1・女子)

今、難しいなあ、と思って考えていました。大事にしているとか、「ダウン症という障害がある子です」と人に紹介するので、自分の感じ方がまずいな、と今改めて思っていました。うちの娘は、私が看護婦をやっているからということもあって、自分も看護婦になると思っています。他の兄弟が誰も看護婦にならなかったものですから、私も半ば期待しているところもあるんですけれども。この子が夢を実現するためにケアの方に就職できないかな、と思って、動き出したいと思っています。夢をかなえられるような方向に少しでも近づく、説明がついて本人が納得いくようなものを考えたい。

実際、その例のように結婚といわれたら反対するだろうし、矛盾していると思うのですが、その中のどれかでも実現するような方向で援助していきたいと思っています。

河内先生

正しい答えがあるわけではないので、遠慮なく言って頂いて、考えをおっしゃっていただきたいです。

Bさん

(中3・女子)

夢について、そのときどきによって、変わっていくし、これじゃなきゃ、ではなくいろんなことを言ったんですが、小さいときには「お医者さんになりたい」と言ったことがあって、多分こども病院などでいろんなお医者さんを見ているからそういったんだと思いますが、「お医者さんになるのは、大変だよ。いっぱい勉強しなくちゃならないし。」そんな話をしたと思います。

今の質問は、男の子だし、うちとは合わないかもしれないけど、「車の免許を取るには、それなりの勉強をしなくちゃならないんだよね。」とか、「一生懸命働かないとお金がたまらないから、お家を建てるのは大変だけれど、がんばてみようか。」とか、そういう話はできるかな。「お嫁さんをもらって、」といったときに、結婚に関しては、例えば、うちの子だったら、家事が出来なければいけないとか、そういうことで「結婚て大変だよね。」何にも出来なくて、子供が出来たらもっと大変だよね。極端かもしれないけど、日常生活の中で、いっぱいいろいろやらなければならないことがあるんだ、という話をするかな。「だからいけない」とか、「だから無理だよ」とかっていう言い方じゃなくて、つきつめて、誰か連れてきて「結婚したい」と言ったらまた別かもしれないけど、今はそういう感じで、対応するんじゃないかな。あと、免許といったときにうちの子は視力がいまいちなので、「目がよくないから無理かもしれないよ」という話はするかもしれない。すごく難しいけれど、最初から全てを否定したくないな。

本などをみると、出産は難しい問題のようだけれども、結婚は否定しきっていいのかな、ってまだ自分自身わかっていないところもあるし、そういった中で、これから親として悩むだろうな。そういうことがこれから来るか来ないか、まだわからないけれども、全てを否定することはしたくない。出来ることは考えてみたい。という形で、多分答えるんじゃないかと思います。

河内先生

今、成人されて間近にそういうことを控えている方たちはまた違った考えがあると思うんですけれども、Cさんいかがですか?

Cさん

(30歳・女性)

3人兄弟の真中なのですが、下の妹が先に24歳で結婚しました。本人は、何でも順番でいくものと思っていたんです。ところが妹が先に結婚してしまったので、「どうして?私がまだしてないのに。お兄ちゃんがまだしていないのに。」すごく疑問でした。どう言っていいか、すごく難しくて、実は私、男女共同参画社会を作るために、という活動をしているのに、娘には、「あなた、家事ができないからだめよ。」なんて言って、「食事がちゃんとできなきゃだめよ。」と言ったら、「カレーができる。」「スパゲティができる。」と言うんですけど、「毎日それだけ食べているわけには、いかないでしょ。」と言うと「そうか。」というんです。何でも出来ると、本人は思っています。もう30だから。

じゃあ、具体的に何が出来るかとなったときに、例えば、自分で献立を考えて買い物に行かなければならない。「あぁそうか、私はできない。」という風に気が付くんですけれども、やはり結婚するということについては、すごく憧れをもっています。が、忘れているときが多いように思います。だから、何か、妹が結婚したときとか、TVで10代の結婚についてあったとき「それはできないよね。」と私に言うんです。「どうして?」と聞いたら、「まだ、10代では、結婚は早すぎてだめ。」と言って、自分が30でできないのに、どうして10代でできるの、みたいなことを言うんですけれども、私も100%反対というわけではないんですけれども、結婚しないでこのまま行くだろうな、と思っています。

夢をかなえるということと、結婚とはうちの場合は別のことです。うちは、手織りの佐賀錦の職人として、毎日を追っているわけですけれども、自分の夢は?と聞くと、「佐賀錦の名人になること」というのが片方にあるんですね。どこか小さいところに「結婚もできたらいいな」というのもあるので、何かのときに「やっぱり佐賀錦の名人にならなければいけないから。」と言うと「そうか。」とやたら素直に納得するものですから、今のところ結婚することについて、私が責められて困るということはありません。

ただ、やっぱり1人前の大人として認めて欲しいというところはすごくありまして、何でもこっちが知っているようなつもりでいるんですけれども、本当は、全然知らないことがいっぱいあるなということを、本人は、毎日家にいて、主人も定年退職して家にいるものですから、私がいない場合、お昼が親子2人になるんです。そうすると、それが苦痛なんです。だから、朝起きると「今日、パパどこか出かける?」と聞きます。何でも一人で出来る、やりたい、というところがあるので、全部親が何でもしてあげる、というのが幸せとは限らないな、ということをすごく感じているところです。

もう1つついでに言わせて頂くと、ずっと気になっている言葉が、先ほどから出ている「障害」という言葉のことです。「差し障りがあって、害がある」というのは、人ではなくて社会なわけです。その人が生きていくのに。なのに、児とつけたり、者とつけたりしなければならない世の中は絶対におかしいと思って、10年ほどまえに社説にのったことがありましたけれども、それからずっと思っているんですけれども、全然それは変わらなくて、なんとかその「障害者」とか「障害児」という表現方法を何か変えていくようなことを国語学者に頼んでみるとか、何かそういうことをしながら、もう少しいい言葉にならないかな、ということをすごく感じています。

「ダウン症を持っています」という言い方をしますよね。私個人的には、どうにも好きでなくて、あるならしょうがないんです。でも、持っているというときに、もちろん手足を持っています。というかもしれないけど、もう少し意志が入るように勝手に思えて、「障害がある」とか「ダウン症です」とか言うならいいんだけど、「障害を持っています」とか「障害を乗り越えて」とか、私は別に乗り越えなくたって、共に歩んでダウン症のままでいけばいいと思うんだけど、佐賀錦の展示会などをすると新聞社などが、障害者がこんなことをする、ということでまずくるわけですね。そのタイトルに「ダウン症を乗り越えて」と書かれてしまうんです。私は、それがうんといやで後から新聞社に「乗り越えていません。ダウン症のまま、いっているんです。」と言うんですけれども、マスメディアも安易に「乗り越えた」とかそういう表現をすることについて、すごく抵抗を感じていて、ちょっとひねくれているのかもしれませんけど、すごくそういうことを感じるので、(話が違っていまして、申し訳ないんですけれども)ちょっとどこかの隅で考えていただきたいと思います。

 

河内先生

今、おっしゃったことは、とても大事なことだと思うんですけれども、私も育成会などで行政と話をすることがあるんですけれども、今、県のプランなどでも「障害者」という表現の仕方について、アンケート調査を行っていて、どういう表現の仕方がいいか、ということについて取り組んでいます。この間も市の方でプランをやったときに、案が出るんですけれども、すべて「障害者」というのは、「障害のある人」、社会に出るときに社会の障害があるという意味で、「障害がある人」というように書き換えてもらうようにしたら、それはみなさん了解という形なんですね。今までは、障害というのは、こっち側にある、ということじゃなくて、今、障害がある人というのは、社会の方にあるというふうな形には、社会全体が理解の仕方が変わってきたな、っていうのは、なんとなく感じるようには、なってきているんですけれども。言葉を表現するときというのは、とても大事なことだと思うので、「障害を持つ人」と「障害のある人」では、どちらも同じだと言う人もいるだけれど、やっぱり私は、「障害を持つ」ではなくて、「障害のある」、社会に出て行くために障害のあるという形で表現するという、それはみんなで言っていった方がいいんじゃないかなって思います。だからそういう意味では、「障害者」ってことじゃないけれど、「障害」というのは、やはり彼らにとっていいことじゃないから、そういういいことじゃないことがあるということについての「障害」っていうことではまた変わってくるかな、と思うんですけれども、行政も含めてそういう方向になってきたということは、言えるんじゃないかなとは、思っています。ただ、我々当事者がそれを安易に口にしてしまっていることに対しては、やっぱりみんなで先陣を切って改めていくっていう方向を持っていかなくちゃならないんじゃないかな、って思いますので、さっきのダウン症を持つということについても、感じたらやっぱり言っていくということがいいんじゃないかな、と思います。それは、すごく大事なことだと私も思っていますし、多分みなさんも感じていることじゃないかと思います。ただ、行政もそういう形では、今議論をしている、ということだけは、お伝えしたいと思います。

少し、成人になった方々に…、Dさん、いかがでしょうか。夢を持ったということについて、もし、あなただったら、どういう風に答えてあげられるかな、ということでもいいし、ご自分のお子さんについて、夢について語られたときにどういう風に返してあげられるかな、ということでもいいですから。

Dさん

(成人・女性)

その浜松の方のことですけれども、私が親でしたら、「車に乗せてね」ですとか、「楽させてね」とかそういう言い方で多分、答えるとは思います。ひとつひとつやっていく中で、当然壁にぶつかりますから、そのときに壁の内容について、わかる範囲で、子供には説明すればいいかな、と思っています。娘の件でいきますと、とにかく結婚が夢なんです。それで、以前にも、(大学生になりましたけれども)ボランティアのお兄さんに「結婚してください」と言って、最初相手は戸惑っていたんですけれども、「ちゃんとはっきり言ってくださいね。」とお願いしたら、「僕には彼女がいて、Dさんとは、結婚できないんだよ。お付き合いもできないんだよ。」って言ってくれたんですね。で、本人は納得して、ラブレターも出しませんでしたし、プロポーズもそれ以降はしなくって、やれやれと思いましたら、今度、職場に新卒で若い方がきまして、今度は、そちらの若いお兄さんに目が行きまして、プロポーズの手紙をまた出しまして、昨日何を言うかと思ったら、「お母さん、私、その方から手紙をもらった」というんですね。だから、私、内容がわからないものですから、「だれだれさんも頂いたの?」と聞いたら、「ううん、私だけ。」と言うものですから、「あら、ラッキー。じゃ見せてよ。」と言ったら、何の事はない、プロポーズの断りの手紙で、「僕には彼女がいて、将来結婚する気でいるものですから、Dさんとは、結婚できません。」という内容だったんです。それで、ハンディがあるなしにかかわらず、どうしても同じ娘として見てしまうものですから、「あなた、もうはしたないことはやめてちょうだい。男と見ればなんでもプロポーズすればいいってもんじゃない。」って言いましたら、24になる長女が「お母さん、それは違う。」って言うんです。「数打ちゃ当たる」って言うんです。それで、「いいよ、Dさんと結婚してもいいよ、って人がいればラッキーじゃん。」って言うわけ。だから、私もそういう考えもあるんだ、と思って、じゃ、好きにしてとは言いませんけれども、男を見る目を養ってちょうだい。ということは一言言いましたけれども。そういう感じで、本人が、「えっ」と思うようなことでも、まともに受け答えしてかっとなったりしている親がいるんですけれども、自分自身の中に。でも、それはそれでいいかな、って感じは、しています。先ほどの話に戻りますけれども、本当に現実的な問題として、ぶつかってきたときにそこで、この子のわかる範囲で、話をしていけばいい、って私自身は思っています。

河内先生

私が指名しないとしゃべっちゃいけないと思われているといけないので、どうぞ私はこういうことを思っていますとか、うちの子供はこういう夢を持っています、ということがあれば、言ってください。

司会

どうですか?

Eさん

すでに結婚されているダウン症の方、ご存知ですか?

河内先生

私は知りません。

長谷川先生

直接は知りませんが、他の地域ではいらっしゃると聞いたことがあります。福岡の方でその方はダウン症同志ですけれども、結婚しそう、とか、かなりラブラブな関係とかとは、聞いたことがあります。育成会の方で、結婚の支援のいろんなことを知っておられるんじゃないかと思うんですけれども、ビデオとかも見たこともあるんですけれども、それこそ、結婚生活をどうするかとか、ロールプレイングとかもして、愛の言葉の言い方とか、相手同士に通じる言葉、夫婦喧嘩をしたときにどういうふうに対処するかとか、そんなことまで、やっていると聞いていますけれども。

Fさん

(21歳・男性)

作業所に行っております。非常に楽しい子で、「ぼくは○○ちゃんが好きなんだよ。」「僕は将来結婚したいんだよ、お母さん。」「うちを出て、アパート借りて、結婚したいんだよ。」って言います。私は、なんて答えていいか困っています。それで、親として不甲斐ないんですけれども、明快な答えが出てこなくて、「あ、それじゃ、いろんなことが出来ないと困るんだよね。お金の計算も出来なくちゃならないし。」って言うんですけれども、でも、この子は一生結婚はできないのかなぁって思うと、私は胸がつまって、私の責任かなぁって思って、主人と話をしようかと思うんですけれども、まだ、それについては主人とは話してませんが、胸が詰まっちゃうので。今はそういうときになんて答えたらいいのかな、っていつも迷っているんです。ぜひ、教えてください。

河内先生

Fさんの困っていることに答えてくださる方は、いませんか?

今、結婚できないのは、私の責任かな、って思われるということをもう少し、詳しく聞かせていただけますか?

Fさん

私がちゃんとした子に産んでいれば、もうそういうことは、考えなくていいだけど、こんな子に産んじゃって、と自分を責めるんですけれども。いろいろ考えて、もしそうなったら、結婚できないものかなって、いうのも頭にちらっと浮かぶんです。でも、やっぱりこの子はできないのかな、と思うと、不憫で不憫でなりません。すいません。

河内先生

ありがとうございました。Fさんにアドバイスできる方…。

Gさん

(31歳・男性)

今日は河内先生の話を聞きに来たんですけれども、男性の声がないものですから、私、焼津から来ました。ひげをはやしておりますけれども、別にえらぶってはやしているわけではありません。40年間、会社づとめを終わりまして、会社に40年、貢献をしたということと、転勤を長く続けて、単身赴任を長く続けたということと、これからは地域社会、要するに障害者福祉に貢献しよう、ということから、焼津の育成会の方の事務局長をやっておりますけれども、正直申し上げますと、今、30ですけれども、小学校を普通学級に入りまして、私は、羞恥心の塊でした。要するに隣近所、親戚にこの子が生まれたということを披露できないという苦しいジレンマに陥っておりました。普通学級から特殊学級に、ということで焼津で小学校が2校ありましたけれども、普通学級を見、特殊学級を見て、この子にあうということで、私の開き直りの人生が始まったということでございます。

開き直ってからは、成人してからは、(子供が2人おりまして、次男は今仙台です。学生がやっとおわったという27歳ですけれども)いっしょに居酒屋でお酒を飲みたいという希望を昔から持っており、そのように実現したいということで、正直、今夕飯はいっしょに食事をしております。ビールを2人で晩酌をしています。その間、ビールの注ぎ方、お酒の注ぎ方、受け方、等々、お酒を通じて、遠くにいても土日はいっしょにやり、育成会のことをやってきました。

それともう1点は、家族旅行というのを私は、開き直り人生になってからは、年2回必ずやっておりました。これが非常に効果があり、子供を放す、弟に面倒を見させる、そういう生活を2○年間続けまして、この夏も仙台の息子の方に旅行に行こうかな、ということで今計画をしているんですけれども、そのときにやはり、30過ぎまでうちにいるとうちが居心地が良くて、居座ってしまうというジレンマに陥っているのが現状です。普通、ダウン症というと表に出たがるんですけれども、うちの息子は、仕事場に行っているんですけれども、帰ってくると小学校からやった、漢字の勉強を7時までは、ずっとやっているんです。ノートはおそらく40cmから50cmはあるんじゃないでしょうか。それが最近、漢字から英語になりまして、テレビでは英語の曲が多いですから、演歌は観せてくれない、やってないという状態ですから、それに英語の質問をされることが多いんです。「これ、どういう意味だ」とか。表に出ないかわりに、そういう知識がつきすぎてしまっているということで、先ほど小林さんに困っている、ということで回答をもらったんです。男でも、独り立ちできるように、できるためには、やはり料理を作らせるとか、洗濯をさせるとか、こういうことをさせるのが必要ではないかとつくづく、今、感じているところです。

「産んだから…」という話がありましたけれども、これは、ひがまないで、一生いるんだ、ということで育てる方が、気は楽になるんじゃないかと思います。これは、お母さんの責任でもない、神様の責任ですから、そういったことで、悪い方ではなく、いい方に解釈して、一緒に食事も出来、テレビも見れる、会話も出来る、という風にいい方に解釈した方が、いいんじゃないかというのが、私の持論です。

それと、むしろ反対に問い掛けたいんですけれども、河内さんの話を私は好きで聞きに来るんですけれども、若いお母さん方がどれくらい、だんなさんと子供のことについて話し合いをしているのか、あるいは子育てをどうしているのか、私の息子はとにかく、普通の子と同じように出来るだけ放して、(2歳から1年間慶応病院にいたということもありますけれども)出来るだけ親から放す、かわいそうだとか、そういう気持ちでうちに置いておくということが、果たしていいものかどうか、というふうに私は日ごろ感じています。

河内先生

お父さんの貴重な話を伺って、この間、浜松に行ったときはお父さんが多かったですね、ほんと、お父さんが少ないと思いますけれども、お父さんと子供の将来のことを話し合う機会はありますか?

Hさん

うちの子は、まだ自分の気持ちを言葉に出来ないですね。できればまた違ってくると思うんだけれども、出来ない分??がすごいんですけれども、何か言ってくれた方がやっぱりうれしいですね。それだけで、夢なんかほんと聞いてみたいと思います。お父さんとよく、何考えているか聞きたいよね、と思っている状態で、なんとなく生活で、何をしたいかとかはわかるんですけれども、言葉で気持ちというのは、まだ聞けないですね。聞いてみたいと思います。

河内先生

まだ早いかもしれないですね。お父さんなんかと、将来のことで話し合うことはありますか?

子供さんがどういう希望してるとかではなくて、そんなに先までは考えられないとは思うけど、そういうことを不安に思ったりとかはありますか?

Hさん

私は、全部話すので、1日あったことは、その日のうちに話すので、私は話してすっきりする方なので、一応一緒に聞いてくれてはいるので、将来も一緒に考えてくれると思います。

河内先生

今までの話を含めて、大きいお母さんで何かお話してくださる方、いるでしょうか?

Iさん

(29歳・女性)

子供の年齢によって私の気持ちが変わってきていると思うんですよね。小さいときはやっぱりなんかこう、してあげなきゃっていうのが、強かったような時代が何年かあって、だんだん本人の成長をみてくると、赤ちゃんの時にはとても思いもしなかったような、いろいろな能力を発揮し、「えぇ、こんなことも」っていうような、姿を見せられるにつけて、そして今、もう少しで30年ですけれども、30年の今は、私が何かしてあげるというよりも、逆にしてもらう、っていう割合もものすごく大きくなっているので、私や父親が何かを設定して、用意して、道筋をつけるというよりも、本人の日々の姿を見ながら、過ごしてるという、そして、その先も明日あさって、5年10年それが続いていって、他の方もおっしゃっていましたけれども、何かあったときには、その都度考えていくっていう、そんなことで日々が過ぎていくのかな、というのが今の正直な気持ちです。

Cさんのお宅と同じように、うちも妹の方が先に結婚が決まって、「妹が先に結婚なんて、許せない」ということを言っていますけれども、「それは、順番とか年齢は関係ないよ」ということで話して、本人がどう思っているか確認はしていませんが、私はそのように話してきていて、結婚が無理だとかは私としては考えていないつもりで、現実にそういうものが出てきたときには、それはそれで考えようとそんな思いで今はいます。

河内先生

ありがとうございます。夢をいっぱい持っているJさんだと思うんですけれども。

Jさん

(成人・女性)

みなさんの話を聞いていると、私は本当に手を出し過ぎてきちゃって、お仕事会へずっと来させて貰っているんですけれども、お仕事会の中で育ててもらっているという部分がすごく多くて、親よりもみなさんにというところがあって、ついつい一人っ子みたいに育ってしまったものですから、何かこぼしたら「ほら、こぼれているよ」とかいちいち指示を出す生活をずっとしてきてしまったものですから、手は出さないにしても必ず口は出している、そういうようなことで、いつかのぶちゃんが、「こぼれているよ、こぼれているよ」と言ってくれて、「でも、ティッシュないじゃん」くらいに本人は言っているんですよ。そこで、「しょうがないな、今回に限りぼくがやってあげるよ」ってのぶちゃんがいってくれて、「これから、次は君がやるんだよ」と言われたら、それからそのことにすごく気づいた、ということがあって、日常やっていることって、意外と親は感じていないというのか、やっていることがマンネリ化しちゃって、私の場合、「学び」を取ってしまっていることがとても多くて、2,3日前も雨が降っていたときに、おばあさんが仕事から帰ってきたら、「はい、おかえり」と言って、玄関を開けてくれて、「はい、傘はここ」というようにやっていたんです。もちろん、私がそうやってきたので、おばあちゃんもそうしたんでしょうけど、おばあさんに「これからはやってあげることがこの子のためじゃないって私気づいたから、おばあさんも協力してね」と言えました。核家族のうちもありますけれども、うちの場合は、おばあさんたちも一緒に暮らしているものですから、そういうところで親がこの子にやってあげることが幸せではないんだよ、とおばあさんにも声を大にして言えるようになった自分、自分もこの子を通して成長させてもらったなといつも思うんですよね。まだまだ、みなさんのお力をお借りしたり、自分も反省して、母親の姿が絶対というところがあるものですから、知らないところで顔色をうかがっているということをみなさんも感じていると思うんですよ。だから、そういうことも気をつけていかなければならないということと、先ほど結婚の話がありましたけれども、うちでも昨年、お兄さんが結婚しまして、やっぱり本当に兄弟の結婚に関しては、すごく不安がいっぱいありました。いつか総会のときにうちの息子も前で兄弟としての意見ということで発言させてもらって、ああいう機会が本当に反映されたかな、というところが見られて、相手の方も、ご両親というかかわりも出てくるものですから、みなさんも経験されている方もいると思うんですけれども、結婚が決まる前にご両親とお会いしたときに娘の存在を話したら、「病気は誰にでもくることだから」とすごく寛大に受け容れてくれたし、結婚式も「あぁ、兄弟もいっしょに育ってくれたかな。」とその感激でいっぱいで、結婚式というよりもそこが最高にありがたかったというのもあるし、最近はおばさんになりまして、また、それなりにすごく意識を持っている、こっちがびっくりしてしまうようなことを自分がまわりに合わせて、自分もすごく考えて行動しているんだな、というのが最近見られて、にぎやかい子でワイワイしている中にも親が見落としているところもたくさんあるかな、と思っているのが、このごろです。

河内先生

ありがとうございました。Kさん、いかがでしょうか。

Kさん

(高1・男性)

夢の話というのは、ちょっとあれですけれども、上の子達と同じように、すぐ間近に迫ったものじゃないということで、多分、「いいんじゃない?」という感じで、答えるんじゃないかなと思います。道を作ってしまうのは、あまり好きではないので、「これはだめだよ」とか「これは無理じゃない?」というのは、上の子達もそのように育ててきたので、上の子達にもついこの間、「宝くじも買わなきゃ当たらないんだから、とにかくやってみなくちゃわからないからね。」という話をしたばかりでして、下の子にも「やってみなくちゃわからないから。」というような話をするのではないか、と思います。

Lさん

(24歳)

主題である「わたしはなぜここにいるの?」という本人に対する答えを親がある程度環境を設定するという部分というのは、私は必要ではないかと思っているものの一人なんです。環境設定というのが非常に難しいとは思うんですけれども、一つには、自分の親亡き後のこの子の存在というのはどこに置くんだろうという部分を一つ考えているんです。今、育成会でも生活寮の話が出たり、グループホームの話が出たりはしているんですけれども、今うちの子は24になるんですけれども、企業で働いて毎日通って、ごくごく普通の生活をして、疲れた体で帰ってきて、普通の土日を休んで、やっと疲れが取れて月曜日にまた会社に行くという生活をしていて、自然な流れの中で生活をしているんだけれども、その中で本人の喜びになるものを見つけながら、本当に好きなことを好きなだけ、土日には過ごして、散歩の会には、本当に楽しみに参加させてもらって、という生活の中ででも数とすれば本当に喜びとなる部分は私たちからすれば少ない部分があるかなという、そういう中でこれから年齢を重ねていく中で本人がある部分、喜びと感じる生活をしていくのに答えてあげられるような環境設定というのをやっぱり親として、責任みたいなものを私は感じるんですけれども、その辺のところで、どういうものが一番いいのか、それぞれ別々でバラバラだとは思うんですけれども、ある部分、集団の中で、生活寮として生活をさせていくのが本当にこの子にとっていいのか、そうするには、やっぱりその子にやっていかなければならないことが、数々あると思うんですね。それにしては、うちの子は、まだいろんなことが出来る場合ではない、本人が出来る部分が少ない、というのもあるんですね。そういう部分をどんな形で与えていくのかという段階なんですけれども、会社に勤めているという部分を削らずにやるということは、今後完全ではないですよね。辞める場合もあるし、体がどのように変わっていくかというのもあるし、その場合その場で考えていかなければならないものだとは思うのですが、そうなったときにどういう環境を与えられて、本人の感性なり、態勢を崩さずに生活出来る場を設定しておく必要があるんじゃないかと思っている一人なんですけれども、みなさんはどうお考えでしょうか。

河内先生

将来どういうふうにして生活を設定していくか、生活を考えるにあたっては、どういう環境を設定していけばいいかということを考えていかなければならないという意見が出たんですけれども、それについてはまた違う意見の方もいるだろうし、同意する方もいるだろうし、今そのことについて具体的に何かを考えている方もいるだろうし、その辺についてはいかがでしょうか?

Mさん

(24歳・女性)

会社勤めをしています。土日がお休みということになっていますけれども、まさかこの子が社会に出て働けるようになるということは、小さい頃、まして幼児期の頃はまったく想像もつかなかったです。病気ばかりしていて、入院生活が多い中で体力もなく、会社で働けるという状況もない。ただ私たち夫婦が言ってきたことは、幼児期に、「いつこの子がいなくなるかもしれない」ということがいつも頭にありました。手術をしても経過がよくない時期が長く続いたり、ただ、私たち夫婦が語ったことは、どんなことがあっても悔いのないように、一日を楽しく、「今日は良かったね」と過ごせることだけを考えてきて、それが未だに続いているような、幼い親だな、とは思うんですけれども。彼女が楽しめること、例えば興味の持ったことについては、もっとそのことについて楽しめる方法はないかな、という高めていくということをずいぶんしてきたかな、という風に思います。だから、今とっても趣味が多いし、編物をしたり、相撲が大好きで相撲を楽しみにしている。野球も大好き、みんなと遊びに行くのも好きだし。そういうことができるように、それが持続していくような形というんでしょうか。相撲にとりますと、国技館に行って、見せてあげたいなと思うんですけれども、本人にそれを言うと「いや、私はテレビでいい。」と言って、行く気にはならないんですね。あるとき、私の職場で「相撲ゲームってあるよ」と聞いて、それは、3千円払って、星取表をつけて、景品がもらえる、海外旅行もできるという景品つきのものなんですけど、そういうものをつけることによって、より一層相撲が楽しくなるんですね。自分の書いたお相撲さんがいい成績をとると「今日は○点、合計○点。」とトータルを毎日出していくんですね。そういう楽しみを更に楽しくするものを私たちが気が付いたときに提案していくんだけど、すると本人もそれにのっていくんですね。そんな感じで楽しいことはたくさん持っていて、本人の中に将来のこととか、夢とか聞いたことがないんですね。異性に関することも「あの子が好き」とかそういうのも聞いたことがない。そういう気持ちがあるのか、ないのか、ちょっとわからないですけど、本人が毎日聞くことは、「野球どうなってる?」とか自分でいつもラジオを持っていて、会社の行き帰り1時間くらいかかるんですね、その間自分でラジオを聞いて帰ってくるんですよ。すると「○○勝ったよ。」とお相撲については言ったり、その一日一日が楽しいみたいで、将来のことをあまり聞くことがない。今その楽しみを例えばグループホームに入ったり、施設に入ったりということになったときに親がいなくなったときにどうするのかな、ということは思うんですけれども、じゃあ、今この楽しみをそういうところに入って続けることが出来るんだろうかということを考えると、そこまでいろんな人に要求は出来ないだろうな、とか。だけど、自分がそれだけの楽しみを持って、そういうところで生活するようになったときには、その楽しみが「私、こういうことが好きなの」とか、訴えることが出来るかなとか、今まだそんなことを考えている段階で、私としてはそういう他の家庭以外の場もいろんなものを見せていただいたりしながら、こういうのもあるんだな、という知識の中に今はまだ貯めているという、勉強しながらいるという状況で、会社から帰ったらもう6時過ぎですよね、そんなときに、夕飯の支度を手伝って、いっしょにやろう、とか言う力はもうないんですよね。それで、土日手伝わせようかと思うと、朝は何もなければ、10時、11時まで黙っていれば寝ています。起きてくれば自分の好きなものを勝手に食べたりしていますけれども、その中でおもちゃ図書館のハンドベルを楽しみにしたりとか、本当に自分が楽しいことだけに生きている、そのために働いているというところがあるんですけれども、家庭から無理やり離そうという気はないんですね。この楽しみを続けさせてあげるにはどうしたらいいのかな、とまずそちらを考えてしまっている、というところです。

Nさん

(成人・女性)

夢の話、ひとつこの前娘の中であるできごとがありました。というのは、彼女、結構昔から「○○が好き」という気持ちがある子で、養護学校のときの同級生だったり、そのときはうちに連れて来て、それが初めてのデートかなって親が「えっ」と思ったんですけれども、そのうちに今度は心変わりをしまして、今度は、クラスで一番マラソンがトップでかっこよくてサッカーもうまくて、という子に心変わりをしまして、この前10年振りくらいにクラス会をやったんです。そのときに「○○くんが来るよ。」といったら、にこっと笑って、「Nちゃん好きだったよね。」と言ったら、「うん」と言って、「会えるよ。でもね、○○くんには、△△さんていう彼女がいるんだよ」と言ったら、「え?」といったけど、「2人とも来るよ。」と言って、どんな感じで受けるかなと思いましたら、やはり会うまでは結構会えること事態を楽しみにしていました。そして、会って、「それからはどうだった?」と聞いたら、会って気持ちがすっきりしたような感じで、昔の自分の好きな人に会ったという感じで、何かそれがほのぼのとして、この前ちょっとそんなことがありました。だから、好きとかは抑えるんじゃなくて、やはり気持ちだからそれは大事にしてあげたいな、ライバルがあっても自分が好きだという気持ちには、今も変わらない、その彼女の気持ちを私は大事にしてあげたいな、とついこの間思いました。

うちの娘は生活寮に入っているんですけれども、グループホームの会というので前から合宿をして、その仲間が今いっしょに入っているんですけれども、無理のない程度、自分のやれる範囲で、今、週2日泊まって、4日間通っているんですけれども、月曜日と水曜日に泊まって、火曜日と木曜日は夕食を食べて9時にわたしが迎えに行く、金曜日から日曜日は自宅というパターンで、金曜日は夜おけいこがあるものですから、むこうは休ませてもらって、お稽古に行くというパターンを繰り返しています。

河内先生

さっきの高校生の夢をあなたが相談されたときにどんな風に答えるか、どんな風に考えるか、ちょっと教えてください。

Nさん

私、最近シビアになりまして、かえって自然体で見れるようになって、この子が障害があるとかではなく、その子のやれる力でやればいい、そういう考えでやっているものですから、一般の健常の方でも結婚していない方は、いっぱいいる。だから、どういう形がいいとかというのは、ない。だから、健常の人にも結婚している人もいるし、していない人もいる。結婚して、離婚して、バツイチの人もいる。2回目の人もいる。でも、それぞれ自分の立場で責任を持ってやればいいんだな。そういう考えでいるものですから、もし、娘が障害だから結婚ができないという風には、あまり思ったことがない。やはり、好きとか、そういう気持ちは、持ち続けてほしいと思いますから、そのとき、そのときに対処していくという考えで、頭から絶対にだめ、とか、できたらどうしよう、とか、ではなくて、できたらデートをさせてあげればいし、相手の方が、そういう風にはっきりと、言ってくれれば、それはまたそのときに考えればいいし、そのときそのときのその子の気持ちを大事にしていきたいな、と思っています。

(テープ交換)

 

Oさん

(中2)

うちの子供は、今、中学2年生ということで、学校のほうから「将来はどうしますか?」という紙がくるんですけれども、親自身がまだ将来をどうしよう、と思っている段階で、本人に「どこへ行きたい?」と聞くと「私は、お母さんとおかた付けをしたり、洗濯をしたい」と言って、本人がまだ将来とかを全然考えていなくて、本人から夢を話してくれるといいな、そういう時期が来るといいなと思っているんですけれども、今日、本当に大きな方のお母さん方の話を聞けて、勉強になりました。後は、その場に来たときにそのときに本人が納得して、あきらめることもあるんだということを納得できるといいな。やれることは夢をかなえてあげたいと思うのですが、やっぱりできないこともあるということは、こちらからいうのではなくて、本人が納得できるといいな、と感じています。

河内先生

若いお母さんたちと接している長谷川先生、何かアドバイスがあったら、教えてください。

長谷川先生

もしかしたら、ここにいる、ご本人を除いて、たった一人の独身の私でございますので、うちの親は結婚もさせられなかったとせめているわけはないだろう、と思っています。

私は親になったことがないから、親の気持ちよりも本人の気持ちから入っていくんです。自分がダウン症だったら、どうなのか、ということで、お子さんたちと接しているんです。むしろ本人の気持ちで親と接しているから、「いやなこと言われたな」と思われた方も結構多いんじゃないかな、と思うんですね。

先ほどの話にあった、私も「ダウン症を持っている」という言い方をするんですけれども、それは、ダウン症というものの重みと軽さかな、という気がするんですね。私は頭が痛いときに「頭痛持ち」と言うんですけれども、あまり重くないときに頭痛持ちというので、その程度でダウン症も言っているので、あまり病気の予備軍とか病気になりやすいいろんなものを持っていたり、社会の中で生活しにくいことがあったりするけど、ダウン症そのものだけでは大したことはないと思っています。結局、マイナーな少数派なんですね、ダウン症というのは。少数派というのは、大体多数派に圧迫されますから、そういう意味で少数派というのは、生きにくい、だからダウン症の人も生きにくい、と思うんですね。

今、結婚とか、みなさんが一番心配することに入っていったので、私ちょっとそこの中に親御さんたちにいつもお渡ししているメモを今日の資料に入れていただいたんですけれども、具体的に何をしたらいいのか、ということはその家の人が考えていって、みんなで話し合っていけばいいと思うんですけれども、もっともっとお互いに地域とか、身近なかたがたでそんな話をしていただきたいな、と思ったのと、実際にそこに書いたのは、結局発達というのは、大人に向かっていって、必ず大人になっていく。それを健常の方が大人になっていく姿とあまりにも比べていませんか。ということをいいたかったんです。ですから、ほかの兄弟が、結婚していくとかそういう生活をしていくということは、さておき、この人たちが大人になるとはどういうことなのか、ということを考えていただきたいな、と思って書いたわけなんです。ですから、どんな人でも、ダウン症の方でも、確かに障害の軽い方もいれば、障害の重い方もいる。言葉の出ない人もいる。ダウン症でない方たちとなるともっともっと厳しい障害を持っている方は、いっぱいいるんですよね。わたしはダウン症の方だけをみているわけではないので、寝たきりの方まで見ています。それからだんだん悪くなってきて、もう目の前人生が寿命まである程度、既定されてしまっている。

悪化していくような病気の人まで見ています。完全に亡くなることが身近に見えてるという人まで見ています。

で、そういう方でもみんな大人に向かっていると思うんです。そのときに大人に向かうということをどんな風にまわりが、援助できるのか、ということがどういう意味かというのを見てほしいな。要するに私たちは、健常者の視点でしかものが見られない。

こういう子を産まなかったら、こういう子がいることを知らないでいることを恐ろしいことだと思っていただきたいと思うんですよね。今の人たちは、こういう人たちと接していないから全然理解ができない。接してくれれば世の中もっとよくなるはずなんですよね。いつも健常者という視点でなくて、障害がある本人たち、自分がもしそうだったら何をしてほしいんだろう、自分がもしそうだったらどうするんだろう、とか、みていただくとわかりやすんじゃないかな。

Pさん

先ほどから出ている結婚のことですけれども、うちではそういうことをいうことがないものですから、もし言われたらと思ったときにその子たちが思っている結婚観、例えば一緒にいることが結婚だと思っているのかもしれない、ずっと一緒にいたいということなのかもしれない、生活をしていくという意識をどこまで持っているか、ということを考えると、一緒にいたいということが結婚ととらえているのであれば、それはそういう生活ができるような環境を作ってあげる、ということで解決できるかな、とか、私たちが思っている結婚とは、考えが違うのか、それとも思春期の子がテレビを見て、親に抱きついてきたりということもあるようですから、そういうことが結婚だと思っているのか、その辺のところを子供とよく探るというか、話すことが出来れば、どういう方向へ持っていってあげればいいのか、というのが少しずつ見えてくるんじゃないかな、というふうにも感じました。

河内先生

結婚というのは、私たちが考えているのと、いろんな形の結婚があると思うんです。

結婚することで男女共同参画だと手の空いた人が食事の支度をすればいいんであって、という考え方もあるんだから、必ずしも食事の支度をしなければいけない、ということはないだろうと思ったんですね。

それとあと結婚したということで自然発生的に出る問題として、親になるかもしれないということがあります。親になるかもしれないということは、親になることが出来るかもしれないけど、子供になる人が成人になるためのバックアップもやっぱり考えていかなくちゃいけない問題かな、というのは、あるんですね。

子供さんの幸せだけじゃなくて、子供さんの次の世代に今度きちんとした対応ができるようなことも考えていかなくちゃいけないということも親の方は、心の準備が必要かな、ということもあるし、一緒にいることが結婚であるなら、子供さんが育てることもついてくるかもしれないけど、それを望むのか望まないのか、ということも本人に聞いてみる必要があるんじゃないかと思うし、もし、望むのであれば、どういう風に私たちがバックアップできるのかということも考えていかなくちゃならない問題です。だから、それぞれの受け止め方が違うのであって、結婚するというとうちの娘の例だと、結婚したいといったときには、自分が好きでも相手があなたのことがすきでなければ結婚はできないんだよ、というようなことを話していかなければいけない、プロポーズしたけど断られることもあるんだよ、ということも話さなければならないし、うちの娘なんかはお母さんになれるとよろこんだときに、お母さんになるためには、子供にこういうことをしてあげなくちゃならないし、あ母さんとして子供を育てるのに、ごはんを作ってあげたり、お世話をしてあげなくちゃならないし、と言ったときにある時点で「私にはできないからや〜めた」というような、そういった結婚のあきらめ方もあるし、それぞれにちがうと思います。だからそれはご本人がどういう結婚観を持っているかで、説明の仕方もちがってくるんじゃないかな、と思うし、もし、それを可能にしてあげられるんだったら、可能にしてあげられるような整備はどういう風にしていったら、いいのかということを考えていくのが、周りの人達の役目かな、というようなことは、考えていますね。ご本人が、どういう形で結婚ということを考えているかということを一緒に話しながら、明らかにしていくということが必要。

さっき出した高校生の話で、そのときにご本人たちに聞いたんですね。例えば、免許証が持ちたいと言ったときに、「人を傷つけたり、事故をしたりするといやだから、絶対にやだ」と言う人もいましたし、「私、足が短いからペダルに足が届かないから、やめる」というあきらめ方もあるし、それぞれのあきらめ方があるんだと思うんだけれど、夢というのはずっと持っていていいんじゃないか。でも免許証をとるためには、人の命を預かるんだから、こういう法規の勉強もしなくちゃいけないし、ということを話し合った中で、まだずっ勉強して、いつかとりたい、いつかとりたい、70、80になっても夢は夢でいいとおもうし、あるときは1年間一生懸命勉強したけど、とても難しかったから、こんな勉強するならぼくはやめるというあきらめの仕方もあるんじゃないかなという風に思うんですね。

だから夢というのはいつまでも夢でいいし、かなうまでがんばるということもすごく素敵だと思うし、結婚についても夢として持っていて、ずっと夢を追いつづけるということだって、楽しいんじゃないかって思うんですね。なにか戸惑うということのなかには、「ダウン症だから、無理だろう」ということがイコール自分の気持ちの中についてるような気がする。ダウン症だからだめだという結論には、ならないんじゃないか、という風に思うので、そういうことについては、一緒に夢を持ちつづけて、どこでどういう風な形で彼や彼女がそこで自分の力に終止符を打つかということはあるだろうと思う。私たちだって、勉強して、学校に入りたいと思っても、あるところでは、この高校は私の力では無理だと、兄弟だってどこかで自分の能力に合わせたところで、人生を工夫しているわけだから、そういう意味では彼らに任せておく、ということでいいんじゃないかな、それを悲しむ必要はまったく無いんじゃないかな、というふうに思います。

それから、生活のあり方、ということもあるんですね。私も子供が小さい頃には、自分がいなくなったときには、どうしたらいいのか、とか二十歳になったら自分から離れて生活していくことが当たり前ということを頭に描いてということをしていたんだけれど、年齢が進むにつれて、自分の考えも変わってくる、本人の生活の仕方を見ながら、考え方が変わってくるし、それから今、社会全体が非常に変わってきているということのなかで、これからの方はずいぶん変わってくると思いますね。昔は親の助けが無ければ、施設に行ってということを考えたり、生活寮ということがあればそこで生活して、ということがあったと思うんですけれども、またもう一つの選択肢として、これから15年から知的障害のある人たちのためにいろんな制度がかわってくるわけで、そうすると地域にいて、ホームヘルパーの助けを借りて、という生活もできるようになっていくと必ずしも生活寮が必要とか、生活寮に入れなければならない、ということでもなくなってくるんじゃないかという風にそれぞれの生き方が変わってくると思います。私のうちでは、例えば、今生活寮に変わったとしたら、今、せっかく地域社会の中で、近所の方たちとも仲良くなっているのに、わざわざ転居して行かなくちゃならない理由があるのかな、と考えると、もし、本人がそこでいいのであって親も離れて生活しなければならなくなったら、逆にどちらかが移動してもいいのかな、とも考えたりします。私もまだ、この年齢になっても、まだ迷っているというところがあって、まだこの先どのようになるのかわからない状況の中では、まだ、いろんなことが変わってくるけれど、そのときにホームヘルパーをどういう形でいっしょに生活していったらいいかとか、人間関係ってとっても大事だなということを感じるんですね。だからそういう制度なんかについてもわれわれがみんなで勉強しながら、ひとりになったときに社会の支援をどういう風に受けながら生活をしていったらいいか、その中で自分の子供の場合、ここが欠けるなと思ったときにかける部分について、みんなで声を出しながら、改善していくという形に結び付けていかなくちゃいけないと思います。だから、そういう意味では、ダウン症に限らず、支援をどういう形でしていくかを考えていけばいいと思っています。要するに結論から言えば、答えは何も無い、ということだと思うので、ただ、ダウン症ということの最初に受けた私たちの気持ちの中に、卒業はしていくんだけど、どこかしっぽを残しながら生きていくというところを早くそのしっぽをなくしていくようにしていく努力はしていった方がいいのではないかな、と感じています。

司会

時間が過ぎましたけれども、何か言い残したことはございませんでしょうか?

Qさん

(成人・男性)

15年度から制度が変わってきて、地域でもホームヘルパーさんの助けをもらいながら生きることもあって、そのとき、親がどうするか考えればいいって。私もその辺をずっと社会参加できない子供が、10年間企業さんでお世話になって、リターンして3年目になるんですけれども4年目になるかな、この7月で。そういう中で見ていたときに本来もう2,3年がんばれるかな、と思ったけれども、企業さんの体制がやっぱりよくなくて、辞めて今授産所に行っているんですけれども、本当に企業さんで働いているときはそれが当たり前で、朝7時に家を出て、帰ってくるのが6時過ぎという生活をやったんですけど、それでもがんばれたのに、会社が急遽だめになって、作業所にすぐにお世話になったら、もう、そこがものすごくいい、生活のパターンの場所になっていて、もう、失業保険をもらいに安定所に行っても、もうそこは拒むという状態で「もうぼくはあそこでいいんだ」という形になっていたもんですから、もう私も「まあ、いいか」という感じで少し余裕があるうちに作業所でやっぱり作業所だと自分が出る番というのがかなり与えられて、すごく楽しい生活をしているものですから、「まあ10年がんばったんだよ」というので私は自分の中で区切りをつけちゃって、本人もそうしてるからよしにしちゃっているんですけれども、この生活をあと何十年やってくだろう、と思ったときにやっぱりすごく恐ろしくなって、昨日たまたま家にいて、「今日はぼくがご飯を作るよ」って先週の日曜日に青年学級でやった料理のレシピを見て、「今日はぼくがこれをやるから」と始めてくれたんですけれども、やっと見ていて、できる状態。あそこが違う、それが違う、と言って、出来る状態になって、野菜サラダと卵をゆでて、じゃがいもをゆでて、キャベツ、きゅうりを千切りにするのにスライスでこれをやれば楽だと言ったら、青年学級で包丁でやったから、包丁でやると言うから、厚くても薄くてもいいか、と言う感じでやらせたんですけれども、そして、出来たんですけれども、あと、カレーとハンバーグを作ってくれて、「今日は、これ。」と言って、やってくれたんですけれども、ようやく見ていればなんとか形になるか、というところにきたものですから、その後、30歳まで家にいちゃうと家を出る、という勇気が無くて親の下で、たっぷりテレビとテレビゲームと授産所の中で、本当に楽しい生活をしている。私はやっぱりもう家をだしたいんですよね。もう30過ぎたから。やっぱり独立してどこかで生活させて土日くらい何かの日にくらい家に来てくれるのが楽だな、と思うようになったんですけれども、今のお話で、そういう制度があったら別に外に出さなくてもグループホームに入らなくてもやっていけるんじゃないかな、ということで、私の中ではとてもすっきり気持ちが整理できたような気がするんです。すごく今迷っていたものですから。ありがとうございました。

河内先生

そういう意味では、家庭生活とあくまでも生活寮というのは、集団生活ですよね。団体生活というのがあると、私たちもできるだけ自分のペースで生活したいというのがあるのと同じように彼らにも自分のペースで生活をしたいというのがあるだろうと思うので、力があれば下宿みたいな形で近くにアパートを借りて、今池谷さんがやっていらっしゃるみたいな形で生活をしながら、ヘルパーさんの世話をしてもらう、という形もあるんじゃないかな。全部、生活寮を作らなきゃ、とかとするのではなくて、今の社会の中で普通に兄弟がやっているように、「ちょっと近くに下宿したいよ」という気持ちと同じようにできるように今はなってきているんじゃないかと思います。

 




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